名前 |
恭仁橋舊蹟 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
5.0 |
恭仁宮と対岸の鹿背山東側を結ぶ古代の橋の存在を示す石碑。
今は遺跡としては何も残っていません。
多分跡形なく木津川に流されたのでしょうね。
古代の恭仁橋は恭仁京遷都の翌年、741年に架橋されました。
大河の橋を都が決まってから一年以内で完成させるとは、当時の橋梁建設の技術とスピードには驚くばかりです。
前年の740年に行基が泉橋を完成させ、742年には橘諸兄が鹿背山西側との間に大橋を建設中であったので、建設ラッシュだったのでしょう。
ただ、全てそれらの橋は現存していません。