黒田家廟所(姫路市指定史跡)
黒田家廟所ここの墓所には、黒田孝高(よしたか)〈官兵衛のちの如水〉の祖父・重隆(しげたか)と生母(明石氏)の2人がまつってあります。
黒田家は御着城主小寺家の家老となり、重隆の時から姫路城を守って姫路城主となりました。
姫路城主は子の職隆(もとたか)、孫の孝高とつぎましたが、1580(天正8)秀吉の播磨平定の時、孝高は姫路城を秀吉に譲り、父職隆と自分は国府山城(妻鹿)に移りました。
職隆の墓所は妻鹿にあります。
のちに黒田家は筑前福岡の城主となったので、どちらの墓所も地元では「チクゼンサン」と呼んでいます。
ここの墓所は、1802(享和2)年に資材を九州から運んできて造られました。
廟屋を持つ立派なもので、周りの龍山石の石塀から内部は、昭和56年に姫路市指定史跡となっています。
平成25年3月 姫路市教育委員会 姫路市文化財保護協会。
バイク二人旅。
ガイドさんの案内で廟所入口にある門にある紋所のお話で、黒田官兵衛と竹中半兵衛の逸話がためになりました。
ありがとうございました♪38みねちゃん。
黒田官兵衛の祖父黒田重隆と官兵衛の母親明石安風の娘である明石氏の五輪塔が祀られています1802年に両者の墓石が発見され子孫である福岡藩10代藩主黒田斉清が福岡の龍山石を使い廟所を整備したとの事です1802年の和暦である享和2年と刻まれてた石燈籠が奉納されています。
黒田家廟所(姫路市指定史跡)
名前 |
黒田家廟所 |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
軍師官兵衛を思い出します。