神功皇后を祀っているそうです。
鳥取砂丘のラッキョウ畑の中にあり、道がわかりにくい、しかも階段が長い。
そうして、たどり着いても本殿はモルタルに覆われていました。
鳥取市と岩美町の間にある駟馳山の東西には、二つの弥長神社があります。
駟馳山の神功皇后の伝説に因んでいるそうです。
らっきょう畑の中にある神社です。
長い階段を登り辿り着く本殿。
木々の隙間からかすかに日本海が望めます。
ラッキョウ畑の近くにあるが階段がきつく、神社の上はなにも景色が見れない?
道が分かりづらく階段は長めですが、山桜と高台から見える風景が美しい。
古風で雅で奥ゆかしく、神功皇后の時代に思いを馳せました。
名前 |
弥長神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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砂丘らっきょう畑の中にある二つ山に鎮座する神社で、神功皇后を祀っているそうです。
石段前の解説板「神功皇后伝説の地、ニツ山城跡。
神功皇后伝説の地。
古代のこの海岸は、多島に囲まれ風光明媚な港で、海上交通の野所であったとされている。
その昔、神功皇后が三韓出兵したと伝える記述に「因幡誌」では、「神功皇后征韓帰国の時此所にみ舟(天皇の御舟)をつなぎ給う。
」とあり、この神功皇后を祭神として祀る弥長神社周辺には、神功皇店寄港に由来すると思われる地名が、「天王」「御前河原」「御凱陣」「基弾浦」などに見られる。
又、此の地は「応神天皇御誕生の地」とされ、神功皇后がこの港に寄港すると急に産気を催し、玉のような御子を安産されたと伝えられ、産湯を使われたとされる池も残り、多くの伝説を秘めた地である。
ニツ山城跡。
現在地の「ニツ山」には、天正九年(一五八一)の豊臣秀吉軍による鳥取城攻略戦に加勢して戦死したとされる篠部周防守の居城、「ニツ山城(中世城郭)」跡が石組として現存し、山頂からは秀吉が陣を構えた本陣山が一望できる貴重な文化財である。
弥長神社氏子中」石段は150段もあるそうで、健脚でなければ参詣不可能です。