いつもお世話になっております。
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雅成親王は後鳥羽上皇の第四皇子で、配流先は豊岡市高屋らしい。
但馬守護太田昌明に見張られていたらしい。
妃の幸姫は夫君の跡を慕って、懐妊の身にもかかわらず、三十余里の道程を歩み続けて、気多郡松岡村の里まで辿りついた時、幸姫は急に産気ずいて皇子を産んでしまった。
侍女を近くの農家に立ち寄らせて、親王の配所までの道のりを聞かせたところ、その家の老婆が意地悪く「配所高屋までは、九日通る九日市、十日通る豊岡、その先は人を取る一日市で、合わせて二十日はかかりましょう」といったので、これを聞かれた妃は泣き崩れて、「これ以上三日も歩けば気力は尽きてしまうのに、二十日もまだ歩けとは、到底生きる望みはありません」と申されて、生まれたばかりの王子を石の上に寝かせ、せめて守り袋を王子の身許へ添え遣わされた上で、「死後南風になって高屋に達しましょう」といわれて、蓼川に入水され、侍女もこれに従った。
この事を聞き知った村の若者は、この老婆を火あぶりにしました。
この後毎年この頃になると、決まったように洪水が起きて、村人が苦しんだので、これを妃のたたりとなして、その霊を慰めんがため、妃の霊を産土神として十二所神社に祀ったといいます。
今は松岡地区で旧暦三月十四日の「婆焼き祭り」が行われている。
雅成親王は、後鳥羽天皇の皇子で、順徳天皇の同母弟。
新三十六歌仙の一人。
承久の乱に加担したとして但馬国城崎郡高屋の黒木の御所に幽閉されたが、その後、赦免され京都に戻った。
しかし、後嵯峨天皇を退け雅成親王を天皇に擁立しようとしているとする風説が流されると、雅成親王は馬高屋に送り返され、建長7年(1255年)2月10日57歳で病死してこの地で葬られた。
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名前 |
雅成親王墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
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評価 |
3.1 |
あまり整備されていません。
その分悲哀を感じさせるかもしれません。