昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が崩御になった。
大きな木に囲まれておりました。
こちらは静かでひっそりとしてました。
また新たな歴史発見!!
代々木公園内に突然現れる碑。
説明板には・・・大正3年(1914)4月11日、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が崩御になった。
5月2日から30日にかけて大喪の諸儀が執り行われ、24日には代々木練兵場(現代々木公園)において「葬場殿の儀」が行われた。
入口から葬場殿まで約180メートルの通路が設けられ、通路の左右には参列者らが待機する長さ約145メートル、幅約27メートルの大幅舎(屋根付きの切妻風の建物)が建てられるなど、二重の垣に囲まれた葬場殿は昭憲皇太后のご生涯を偲ぶに相応しい偉容であった。
翌大正4年4月11日、昭憲皇太后一年祭にあたり、伏見桃山東陵の遥拝式が東京府主催にて当地で行われ、その後、葬場殿の跡地を保存し、皇太后のご事績を後世に伝えてゆくため、東京府より碑の建立申請がなされた。
大正6年12月、陸軍より約3.6平方メートルの用地が東京府に引き渡され、翌七年四月に碑が完成した。
・・・と、ありました。
昭憲皇太后は明治天皇の皇后で、大正3年(1914年)に64歳で崩御し、 明治天皇と共に明治神宮の祭神とされました。
大葬が当時代々木練兵場であった現在の代々木公園で行われ、その記念碑が建てられています。
名前 |
昭憲皇太后大喪儀葬場殿趾碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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