大國魂神社の正門近くのけやき並木に鎮座。
八幡太郎源義家公之像 / / .
棒立ちのポーズなうえ台座が高いので、余り存在感がない。
府中のシンボル、大國魂神社前にそびえ立つ最強武者!
平安時代、天皇や貴族の子弟には、京の都での官職が与えられた。
しかし時代が下るにつれ、都での官職にあぶれる者が出るようになる。
そこで、国司などの地方長官の職を与えられ、任地に赴いた。
その中には任期が過ぎても、都に戻らず土着する者も現れる。
彼らは天皇や貴族の子孫であり、その地で尊敬を受けたと思われる。
彼らはやがて武装し、その地での勢力を強めるようになった。
これが武士の起こりとされる。
平安中期以降に武士のニ大勢力が台頭した。
桓武平氏と清和源氏だが、源義家は、後者に属する武家の棟梁である。
義家は前九年の役と後三年の役の後、宮中の昇殿を許され、東国武士の支持を受け、関東に勢力基盤を確立した。
義家をはじめとする武士は、都の天皇や貴族に仕えることで領地の保証を認めてもらおうとした。
(天皇や貴族に)仕える事を、さぶらうと言うが、武士をさむらいというのはここに由来する。
義家の子孫である源頼朝は鎌倉を本拠地として、その後の六百年に及ぶ武家政権を開いた。
義家が築き上げた関東武士団の力が大きな役割を果たしたのである。
けやき並木にある銅像。
説明を読むと寄進したけやきの苗木がけやき並木の元になったらしい。
源義家公が父の頼義と共に1062年、前9年の役を平定する際に大國魂神社で戦勝を祈願し、奥州にて安倍氏に見事に勝利。
その帰りにケヤキの苗千本を戦勝祈願成就として奉納しました。
源義家公は京都の石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と呼ばれています。
江戸時代には徳川家康公が並木の両側に馬場を献納、整備して馬場大門のけやき並木と呼ばれるようになりました。
とても長いけやき並木で良い散歩道です。
この像は伊勢丹の前に立ってました。
大國魂神社の正門近くのけやき並木に鎮座。
戦勝祈願のお礼にけやきの苗1000本を寄進したことに由来し建立された。
競馬の前にご尊顔を拝せば、ご武運にあやかれるかも。
名前 |
八幡太郎源義家公之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
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評価 |
3.8 |
源頼義と源義家父子が奥州の乱の途次に大國魂神社で戦勝祈願をし、大願成就のお礼としてけやきの苗1000本を寄進したそうです。