下田半兵衛の末裔が今も住まわれています無断の見学は...
なんか生活感有りましたが…洗濯物が干されていたり PS4の箱が廊下に見えたりと😅下田半兵衛について少し書きます田無の地は幕府の直轄地である天領であり、代官である名主・下田半兵衛が治めていました。
「半兵衛」は下田家の歴代当主が襲名する名であり、中でも下田半兵衛富永(1779~1850)とその養子である富宅(1801~1860)が良く知られております。
富永は飢饉に備えた救済用穀物を貯蔵する「稗倉」を建て、古くなった稗は貧しい人々や病人に分け与え、富宅は自分の所有する畑を「養老畑」として提供し、その収穫物から得た金銭を村の70歳以上の老人に送りました。
また、二人の半兵衛は田無の地の宗教施設にも多大な影響を残しています。
富永は現在の総持寺である西光寺を再建し、亡くなった後に自ら復興した西光寺に葬られました。
富宅は自ら出資し、嶋村俊表を招聘し田無神社本殿を建立しました。
現在では稗倉、養老畑碑はいずれも西東京市指定文化財に、田無神社本殿は東京都の東京都指定文化財に選定されております。
この下田半兵衛のうち父親の富永に招かれ田無村の医者となった人物が岡山より江戸に修行に来ていた賀陽玄雪であり、その子である賀陽濟(玄順)が田無神社の初代宮司となりました。
この様に優れた人物たちに恵まれた田無の地は長き年月にわたって宿場町として大いに栄えました。
とまぁ田無に貢献した方の屋敷なんだし見学とか出来る様にするべき。
名前 |
下田半兵衛屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒188-0011 東京都西東京市田無町2丁目10−6 グレイスランド |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
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下田半兵衛の末裔が今も住まわれています無断の見学は控えましょうしかしまあ立派な家だわ。