屋敷の広がりについての説明が欲しかった。
衣川柵(並木屋敷)跡 / / .
安倍氏の政庁があったところで、並木屋敷と呼ばれていたとのこと。
前九年の役で敗れ、衣川を放棄し北へと撤退するまで安倍氏の本拠でした。
その後は、奥六郡を支配した清原氏が政庁を置いたとのことです。
説明板のそばにある石塔群の説明や、屋敷の広がりについての説明が欲しかった。
平泉駅前でレンタサイクルを借りて、中尊寺から足を延ばしました。
説明板建替中でした。
石碑と看板があるだけです。
集落内の細い道沿いにあります。
駐車場はありません。
「並木屋敷」案内板と、古びた石碑がまとめて設置されている。
名前 |
衣川柵(並木屋敷)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
衣の関を詠んだ歌「もろともに立たましものを、陸奥の衣の関を余所よそに聞くかな」(和泉式部)「おさふれど涙でさらにとどまらぬ衣の関にあらぬ袂は」(西行)「ただちとも頼まざらなむ身に近き衣の関もありといふなり」(後撰和歌集)「つらけれどうらなく落つる涙かな衣の関もとどめがたくて」(康資王母集)「陸奥の衣の関はたちぬれどまた逢坂はたのもしきかな」(異本実方集)「さして行く衣の関のはるけさは たちかへるべきほどと知らるる」(橘為仲朝臣集)