その美しさも多くの人々の命と共に失われました。
東日本大震災津波で被災した高田松原で唯一耐え残った奇跡の一本松。
その後海水による傷みによって枯死してしまったが、陸前高田市により鎮魂、希望、復興の象徴として保存処理されたものです。
前にある陸前高田ユースホステルのおかげで津波の直撃を免れ、倒れることなく残ったと言われていて、そのユースホステルも倒壊したまま一緒に残されていて、当時の凄まじさを感じます。
奥には堤防が築かれていて、上から海が見渡せます。
下には新たな高田松原を再生するために植えられた松林がありました。
2015年8月東北ツーリングにて訪れました。
夏に東北を廻って被災地の状況を確認しに廻ってました。
陸前高田には2回来たのですが、一本松はまだ見ていなかったのでやはりみておかないと行けないと思い訪れました。
現在は当時からかなり様子が変わってしまってるような気がします。
当時は周辺はまだまだ復興の目処が立たないように見えましたが、この一本松はまさに奇跡なんでしょう。
海からかなりの近い場所ですが枯れずに残ってるのはスゴイ生命力だなと感心してしまう。
この町のシンボルと言える。
力強く残っていて欲しいと思います。
震災の大きさを物語る場所の1つ。
周りには畑だけで、人の住む建物はあまり見当たりませんでした。
一本松はレプリカになっていましたが遠くからでもわかる存在感。
大きな堤防が立ち、階段を上がり海の方を見ると沢山の松が植えられており胸が熱くなりました。
東北旅で北上中に、震災系スポットを巡ろうとの思いで立ち寄りました。
壊滅的な被害を受けて10年以上が過ぎましたが、完全に元通りではないのでしょうが、付近は綺麗に区画された街が広がっています。
この松はリアル松ではなく、造花とでもいいましょうか、松型オブジェだそう。
巨大防潮堤から見える穏やかな海、青空に映えていました。
2011年の震災を忘れぬよう、後世に残す手段の一つとして、大事にしていくのはいいことだと思います。
雨が降る中奇跡の一本松を見学しました。
復興のシンボルとして保存された松ですが寂しそうな感じで静かに立っていました。
防潮堤には松が植えられて海岸には松原の再生にも取り組まれていました。
後ろにあるユースホステルが無残な姿で保存されていて津波の怖さを感じました。
あれだけ大きい津波を受けて残った松の木。
理由はどうであれ、生命力を感じ、最後まで諦めなければ、こうなるんだと訴えているようでした。
広大な祈念公園が整備されています。
道の駅も立派で、一度は訪れてみてもいいかも。
3・11のあの日名勝高田松原も津波に襲われ、その美しさも多くの人々の命と共に失われました。
そんな中でたった一本だけ流されずに残ったこの松の木でした。
現在は塩害で立ち枯れてしまっている様です・・・・・この松の木は、その経緯から奇跡と表現され、津波で甚大な被害を受けたこの町の復興のシンボルとして位置付けられ、周囲には復興と犠牲者の鎮魂を祈る場としての大規模な公園が整備されました。
あの震災を忘れずに記憶に留める為にも祈りの場と震災遺構の必要性は感じてはいるものの、言い様の無い違和感を感じるのは何だったのだろう?と帰宅後に考えてしまいました。
何故鎮魂を祈る場にアレ程迄に本格的な土産品の売場や食事処が必要だったのか。
一本だけ残った松の木は確かに奇跡だったかも知れません。
しかしソコから先の町の復興は、人の営みは奇跡にスガル物では決して無かったはずです。
震災と言う悲劇に呑み込まれた人々の安らぎを祈る場で有るべき場所が、いずれ単なる観光名所としてだけ認識されて、訪れる人々の全てが手を合わせる事を忘れる事の無いよう、一本松の前でピースをする日が来ない事を祈ります。
21/4/12 再訪。
美しかった高田松原。
砂州の海岸は三陸の名所でした。
陸前高田を襲った津波は市街地を全て呑み込み、砂州はズタズタに引き裂かれました。
9年前来た時、何も無くなった砂丘にポツンと1本の松があったのが印象的でした。
何十万本もの松で唯一残された一本松です。
塩害で枯れてしまったのは仕方なく、生物を保存するのには賛否両論があるでしょう。
が、この木が人々に生きる希望を与えたのは事実です。
なにかしらの方法で残したくなるのも必然かと思います。
人々は松原の再生に取り組んでいます。
奇跡の一本松、情緒の産物、反環境モニュメント生き残ってこそ奇跡。
プラスチックの松は正しいのか?SDGsに反するものだと思わないのか?今更いうのでなくプラスチックで固めるという話が報道されたときの感想だ。
当時すでにプラスチックの環境破壊は大問題だった。
大津波で流されて太平洋のゴミにならない保証はない。
震災ゴミは太平洋を漂いアメリカまで到達しているのは誰も知る。
津波伝承館とここは、皆さん必ず訪れて下さい。
2012年、東日本大震災から一年ほど経った頃に行きました。
車のカーナビに目的地を設定して、道中、地図と、目に映る光景が全く異なっていることに気づきました。
沢山の住宅や施設が、地図上には表示されているのに、走っても走っても、更地があるだけ…。
当時19歳の自分には衝撃的でした。
そんな果てにたどり着いた一本松。
別に、特別面白いものではありません。
一本の松がそこにあるだけです。
それでも、今でもよく覚えています。
さざ波の音。
まっすぐ天へと伸びる幹。
抜けるような青空。
近くの、仮設プレハブのようなお店で食べた海鮮丼がとっても美味しかった。
遠くから来てくれてありがとうと言ってくれたお店の方。
10年は節目だと言いますが、被災した方々にとって節目なんてないのだと思います。
コロナで中々被災地への旅行もできませんが、きっとまた遊びに行きます。
皆で頑張りましょう。
私も頑張ります。
7万本にも及んだ広大な松原で、津波に耐えた一本の松の木だが、海水がしみこんだ土壌の影響で蘇生むなしく枯れ果ててしまった、復興のシンボルとして幹中心に鉄棒を入れ保存され近くで見ると、やっぱり松葉など違和感が拭えない。
でもやっぱり心の支えとして頑張ってほしいですね。
そして今、この浜に勝手のような松林の姿を取り戻すために松の植樹がどんどん進めらている。
いずれこの奇跡の一本松が不要なほど大きく育った松林ができあがることを望む。
この一本松近くにある黄色い建物があるが、これは旧陸前高田ユースホステルであった。
奇跡の一本松はこの建物があったため残ったと言われている。
震災後、ボランティアパフォーマンスとテレビのレポーターで二度訪れました。
当時は現地の人に案内され…まだあちこちに瓦礫が残っていましたが…いまは広く整備されました。
とても広くて気持ちのいい公園です。
震災の映像も見れるので今後の教訓で見ることをオススメします。
入湯料無料。
駐車場無料。
個人的には広田湾辺りの自然景観を無視した防波堤エリアにも足を運んでほしいですね。
いろんな意見があると思いますが…コンクリートの防波堤を作っていくのはどうかな…現在この木はモニュメントとして展示されています。
テレビ画面を見てるだけでは伝わってこない雰囲気が、やはり現地を訪れると分かります。
奇跡の一本松だけでなく、その周囲の環境を認知すると、「奇跡の」の意味がわかってくると思います。
すぐ近くには、震災伝承のための立派な施設もありますので、是非一時間は取って見学することをお勧めします。
この場所に来ると東日本大震災のことを思い出すことが出来る。
もう時間が経っていて覚えていない部分も多いけれど、思い出して命の大切さ等を再確認する。
道の駅高田松原が復興支援で整備され、追悼・記念施設と、震災津波伝承館が併設され、高田松原津波復興祈念公園としてオープンしてます。
奇跡の一本松も震災当時の松は、枯れてしまいましたが、現在は当時の樹形のレプリカが震災モニュメントとして、佇んでいます。
レプリカらしいのですが、それに気づいていないようなレビューが散見されます。
しかし、そのような勘違いが生まれるくらい、一見本物か分からないような精巧な作りなのです。
私は陸前高田の人々がどのように思っているかは存じませんが、個人的には、復興のシンボルとしてはありなのかなと思ってしまいました。
塩害で枯れたとはいえ、あの津波を生き残ったのはやはり奇跡だと思います。
この地が広島の平和記念公園のように長らく残り、後世に津波の恐ろしさを伝える場になる事を強く願います。
高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設近くにあり。
上の施設駐車場から徒歩で間近まで行けます。
夜間はライトアップされてあるようです。
しっかり管理されており、一番上には葉が生えており塩を被ったとは思えない赤松です。
工事中で近くには行けなかったのですが、遠くから見させていただきました。
改めて、あの1本松がよく折れずに残ったなと思いました。
個人的にこの一本松は、どんなことにもめげずに、自分をもって堂々としてろ。
というメッセージを受けました。
言い方に語弊があるかも知れませんが、元気をもらえる一本松です。
評価の仕方複雑ですが命とはとか人間とはがわからなくなってしまった時に行って欲しい場所かもしれません。
自然との共存人間との共存考えることができるとおもいます。
※ The miracle of the pine story that remained miraculously during the Great East Japan Earthquake is written. There are places that are difficult to see, but please have a look.
昔の風景が、鮮明に覚えていたのでなかなか行く勇気がでませんでした。
近くに、新しい道の駅ができてついでに行きました。
やっぱり悲しくなりました。
今はなき高田松原。
様変わりしてしまって😢気がつくと道の駅で昔の風景を探していました😰
雨が降っていたが、現物を見ると雨などに負けている場合ではないと思った。
生命のともしびが宿る場所でした。
ヒッチハイクに良さそうです!笑。
2017-6月時点ではガッカリスポット。
無料施設なので悪く言えないが、もしこれを有料にしたら激おこなレベル。
工事の影響で駐車場から一本松まで歩かされる、地震が来たら逃げて!の看板あるけど津波来たら逃げる前に全滅だろっていう順路。
緊急避難通路入口にバリケード。
一本松も現時点では見るほどのものではない。
2回目だと言う地元民のおじさんが親戚と来てたようで話を聞いてると、こんだけ金をかけて価値があるのかと呟いてた、感情論でかわいそうと言うべきではない場所だと思う。
この度、初めて訪れました。
現地で感じる生活感のない静寂さ、盛り土作業する重機車のエンジン音。
テレビではわからないリアリティー。
再び訪れてみたい場所です。
小さい頃にここを訪れて以来…震災後やっと訪れることが出来ました。
小さかった頃の思いでと…この現実と…。
沢山のトラックが行き交い、砂ぼこりが舞い、回りはまだまだ復興工事中です。
ただ、そこにいる皆さんの笑顔が凄く素敵でした。
そこに在る奇跡の一本松の意義、是非訪れて感じ取っていただきたい。
2017年4月に訪れました。
観光地と言っていいのかどうか。
ここをスタート地点として、石巻まで、海岸線を南下し、被災地を訪れました。
被害状況の違いや、行政の考え方の違いによるものなのか、復興具合にはずいぶん差があるように思われました。
陸前高田は、訪れた当時、まだかさ上げ工事の最中でした。
津波で壊れた建物と、エンバーミングされて一本だけ残された松。
海を隠すように造られた高い防潮堤。
映像でしか見たことがなかったけど、実物を見たら、言葉が出て来なかったです…たくさんの人が訪れることに、地元の方は複雑な気持ちでしょうけど、実際に見てみるのは大切なことだと思います。
名前 |
奇跡の一本松 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0192-22-8911 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/machizukuri_sangyo/kisekinoippommatsu/index.html |
評価 |
4.3 |
東日本大震災の大津波で奇跡的に残った松の木は、あの震災の被害をこの先絶対風化させてはいけないということと、震災復興に向けた負けないという強さの象徴のように見えます。
決して楽しめる場所ではありませんが、震災の爪痕を肌で感じるのと、更なる復興支援の為に是非訪れて欲しい場所です。