公園だけかと思ったら南部曲り家の古民家ありましたよ...
小学校の敷地内にある歩道橋から見下ろす方が全景がよく分かる駐車場がないので向かいの資料館から来るのがベストかも。
現在の岩手県紫波郡矢巾にあった古代の城柵。
この地域には志波城がありましたが、水害を理由に徳丹城が造営されたとのことです。
弘仁3年(812年)の造営で、律令制最後の城柵だそうです。
何もありません。
でも、何もないと、いろいろと妄想ができます。
1200年前の人がどんな生活をしていたか、また、蝦夷との関係など、ここに立って、ボッーとすると、なんだか、歴史を感じられます。
近くの資料館を見てから来ると、良いと思います。
歴史が好きな方にはとても、オススメです。
国道で分断されていました。
徳丹城祭り毎年楽しい。
子供のころはここが遊び場でした。
施設とかはあまりないので草原と言う感じです。
資料館みないとイメージがつかないのではないかな。
いつになったら国道4号線 立ち退きするんだろう。
阿弖流為の歴史をもっと知りたい。
公園だけかと思ったら南部曲り家の古民家ありましたよ。
以外と行楽の穴場でした。
大和朝廷東北支配の歴史的遺産。
国道を走っていて見つけました。
解説板と跡のみです。
平安時代初期の弘仁3年(812)頃に、征夷将軍文室綿麻呂(ふんや の わたまろ)によって造られた律令制最後の城柵で、昭和44年に国指定史跡に指定された。
現在、地上には遺構はないが、西隣の矢巾町歴史民俗資料館に、徳丹城から出土した土器や木製品などが展示されている。
812年弘仁3年岩手県矢巾町に徳丹城が設置された。
陸奥国は蝦夷との戦争をへてしだいに領域を北に拡大し、最終的に突出して面積の大きな国になった。
版図の拡大には城柵を設置する政策がとられた。
689年(持統3年)に優嗜曇評の柵(のち出羽国置賜郡)、724年(神亀元)に多賀城(宮城県多賀城市)、737年(天平9年)に玉造柵(宮城県大崎市富沢遺跡か)、同年新田柵(宮城県大崎市大嶺八幡遺跡)、同年牡鹿柵(宮城県東松島市、、、、…井遺跡か)、同年色麻柵、759年(天平宝字3年)に桃生城(宮城県石巻市)、767年(神護景雲元)に伊治城(宮城県栗原市)、780年(宝亀11年)に覚(上幣と下魚)城(未造営か)、804年(延暦23年)に中山柵(小田郡)、802年(延暦21年)に胆沢城(岩手県奥州市)、803年(延暦22年)に志波城(岩手県盛岡市)、812年(弘仁3年)に徳丹城(岩手県矢巾町)、遺跡として7世紀中頃の郡山遺跡(宮城県仙台市)、8世紀前半の城生柵遺跡(宮城県加美町)、の15柵がつくられた。
跡のみです。
近くに博物館があり、整備も進んでいる。
名前 |
徳丹城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
2021年8月20日に見学しました。
弘仁4年813年に完成し、志波城から政庁の機能を移したと考えられる城柵です。
官衙の規模は、そう大きくはありません。
平安時代の朝廷が、東北地方に対する政策を転換させたためと思います。
朝廷支配を進める最後の官衙となりました。
品の字型の伽藍配置になっています。
北側は、徳丹小学校のグラウンドに当たります。
この城柵が、いつ頃まで機能していたのか興味の尽きないところです。
貞観11年869年の陸奥国大地震で倒壊した可能性は有るのか知りたいものです。