城跡碑、城跡説明板、お濠跡のみ。
城跡碑、城跡説明板、お濠跡のみ。
別名「堀殿城」とも呼ばれ、室町時代・播磨守護職である赤松氏の東播磨拠点です。
歴史上でも重大事件の一つである「嘉吉の乱」の際に赤松満祐が将軍足利義教の首をもって入城した場所としても有名で、当時としては大城郭だったと記されているのですが・・現在は田畑と住宅地が広がる風景に変わっています。
マップの場所は主郭部の堀の近くで、堀で囲った平城の一部は垣間見えることができます。
これほどの城跡でありながら評価が低いのは、城としての名残りがほとんどないこと、また車で立寄ることも可能ですが停車する場所がない(路駐)等が理由になります。
名前 |
河合城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
2.8 |
道端にポツンとあるだけ。