カーナビでも古墳の形状が示されます。
まだまだ山には数えきれないほどの古墳が静かに眠っているのだと思うと、ワクワクしたりあれも古墳では・・と思ったりしています。
舞鶴自動車道を通る時に、綾部ICを過ぎた頃にチラッと見える古墳、カーナビでも古墳の形状が示されます。
一度行ってみたいと思っていたところ、たまたま通りがかった道路での案内板に引き寄せられるように駐車場へ(この道は綾部から福知山へ一般道で行くベストなアクセス道路ということも判明、これまでは綾部市街地を抜けて福知山に行っていたのですが信号も多く時間かかります・・・・そんな事も発見して二重の喜び・・・地元の人からすると当たり前の話・笑)。
そこから古墳公園までは、階段を登ります。
若い人ならどうという登りではいでしょうが、老体にはなかなかヘビーな階段でした。
その苦労は頂上に到着して解消しました。
絶景です。
綾部市内が一望できるし、川も見えるし、なにより、毎回舞鶴自動車道を通って、ここを見ていたわけですから、ここから高速道路が間近に見えます(あたりまえですが、ちょっと感動)。
綾部市のシンボルでもある円山古墳!!古墳の上からは、綾部市、福知山市が一望できます。
是非、一度、行ってみてください。
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私市円山古墳(きさいちまるやまこふん)は、京都府綾部市私市町にある古墳時代中期の古墳です。
駐車場、トイレもあり、施設は比較的充実しています。
また、古墳の葺石、埴輪が復元されており、墳丘にも登れます。
往時を想像することができる貴重な古墳です。
墳丘直径70メートル、高さ約10メートルであり、京都府下の円墳としては最大規模です。
近畿自動車道敦賀線(現在の舞鶴若狭自動車道)の建設に伴う事前調査により古墳が確認され、1988年(昭和63年)に公表されました。
それまでは古墳の存在は知られていませんでした。
この発見により古墳の保存が要望され、舞鶴若狭道は現場の工法を切り通しからトンネルに変更され、墳丘は保存されることとなりました。
墳丘は3段構成であり由良川の河原石が葺石として敷き詰められていました。
墳丘の1段目と2段目の平坦部には円筒埴輪が並べられていました。
発掘調査では家形・短甲形等の形象埴輪や土師器が出土しています。
埋葬施設は中央・北・南の3か所確認されました。
うち中央主体部と北側主体部には木棺が収められ、中央主体部からは短甲、衝角付冑、鉄刀等の武器・武具類、農工具、鏡、玉類等の副葬品が出土しました。
北側主体部からは短甲、衝角付冑、鉄刀等の武器・武具類、鏡、玉類等に加え、38本の矢が収められた胡籙が出土しています。
被葬者は由良川の中流域を治めていた王であるとされています。
中央と北側の主体部の被葬者の関係は兄弟であるのか親子であるのかは不明です。
従者を埋葬したと推定される南側主体部には農工具等が副葬されていました。
古墳の保存が決定されると、綾部市は私市円山古墳環境整備構想を策定し、葺石が敷き直され、円筒埴輪のレプリカが並べらました。
また、周辺に広場やあずまやを設置するなど古墳公園として復元・整備され、1993年(平成5年)5月に「私市円山古墳公園」として開園。
1994年(平成6年)に国の史跡に指定されました。
2014年(平成26年)8月には、京都府北部を襲った豪雨によって、墳丘の北西側中腹部が幅10mにわたって崩落する被害を受けましたが、2020年に復旧しました。
台風、大雨で整備が追いついていないですね。
2019/1/3年初登頂!崖崩れのため斜面にブルーシートがかかってます。
今しか見れない貴重な体験⁈
日本の王様の一人が葬られた美しい自然の丘と墓(原文)A beautifully natural hill and tomb where one of the Japanese kings was burried
京都府最大規模らしく、頂上に登ったときの見晴らしの良さは特別。
模造品らしき土器が周囲一帯に並べられており、当時を彷彿とさせます。
景色がよかった!古墳まで階段が少しある。
見晴らしの良い丘へ整備された道で上がれます。
広々している上に訪れる人も少ない様子。
町が一望できる。
名前 |
私市円山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
古墳頂上での360°パノラマが素晴らしい。