出石のイメージを決定づける建物ですね。
日本で二番目に古い時計台!昔は太鼓で時間を知らせていたそうです(^_^)v
出石を象徴する歴史ある建造物周りも地元の方々が綺麗にしてくれて、訪問してホント良かったと感じました。
(2023年9月6日訪問)
立派な石垣の上に建つ時計台で、出石のイメージを決定づける建物ですね。
明治の建築だそうですが、今も現役の時計台として機能しています。
出石城跡、有子山城跡、皿そば、歴史的建造物等出石を象徴する物は沢山あるんですが、辰鼓楼も象徴するものです。
建設当時は太鼓で時間を知らせていました。
出石に行ったら必ず拝観しなくてはいけない場所です。
辰鼓楼豊岡市指定文化財(史跡)昭和四四年六月三日指定廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用して、明治四年(一八七一)に建設された。
名称の「辰」は時間、「鼓楼」は太鼓を叩くやぐらを意味する。
高さ約一三m。
内部は四階建の構造。
かつて城下町の人々は寺院の鐘で時刻を知ったが、明治時代に入り、これに替わるものとして竣工した。
当初は最上階から太鼓を鳴らして時刻を知らせていたが、明治一四年(一八八一)にこの城下町で開院していた医師、池口忠恕が大時計を寄附してからは時計台となった。
池口は大時計を寄贈するにあたり、青年二人を東京(一説には長崎)に派遣して、時計作りの研修・製作をさせたといわれる(現在の時計は電気式)。
同じ明治一四年に時計が設置された札幌時計台とともに、日本最古の時計台として親しまれている。
豊岡市教育委員会より。
辰鼓楼を見ると、出石に来たんだなぁと感じます。
明治より時を刻む日本最古の時計台辰鼓楼(しんころう)は、出石城旧三の丸大手門脇の櫓台(やぐらだい)にある日本最古と伝わる時計台です。
本体は、明治4年、太鼓を鳴らして時を知らせる櫓台として建てられたそうです。
辰の刻(7時から9時)の城主登場を太鼓の音で知らせていたとも言われています。
現在の時計台の姿になったのは、明治14年のこと。
城下町で開業していた医師 池口忠恕(いけぐちちゅうじょ)が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをしたそうです。
池口さんは、そのお礼として、私費でオランダ製の機械式大時計を取り寄せて寄贈。
寄贈にあたり、町の青年2人を東京に派遣して、時計作りやメンテナンスの技術を学ばせたとも伝わるそうです。
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日本で2番目の歴史がある時計台です。
北海道札幌市の時計台の方が1ヶ月?ぐらい古いそうです。
2021年に兵庫県豊岡市出石町の小学校で日誌が発見されてそこに詳しい時計台設置の日付が記録されていて確定しました。
それまではどちらもうちこそ日本で一番最初に設置された時計台やと論争してました。
出石側は本来自分達に不利な資料が見つかったのに自分達から公表した対応は素晴らしいですね。
出石のシンボル。
明治の初め、廃城となった出石城の三の丸大手門の石垣を利用して建てられました。
今は時計塔になってますが、当初は楼上で太鼓を叩いて時を告げたそうです。
明治より時を刻む日本最古の時計台辰鼓楼(しんころう)は、出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある、日本最古と伝わる時計台です。
本体は明治4年(1871年)、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。
辰の刻(7時から9時)の城主登城を、太鼓の音で知らせていたとも言われています。
明治時代に建設された出石のシンボルの時計台。
廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用して1871年(明治4年)に建てられた高さ13メートル、内部が四階建て構造の鼓楼(太鼓を叩くやぐら)。
辰鼓楼が建設される以前は城下町の人々は寺院の鐘で時刻を知っていたようですが、それに代わる形で辰鼓楼の最上階から太鼓を鳴らすことで辰(時:とき)を告げ、出石城下の人々に時刻を知らせることとなっていったようです。
後に、城下町で開院していた池口忠恕医師の寄付によって1881年(明治14年)に大時計が取り付けられ、明治時代以降は時計台として市民のシンボルとなりました。
これによって、辰鼓楼は札幌時計台と共に現在でも稼働している日本最古の時計台となっています。
出石の中心部に建てられた辰鼓楼は一際目を引くランドマーク的な存在であり、観光での散策の際に見ても楽しく、写真映えする好スポットですのでぜひ立ち寄ってみてください。
出石象徴の時計櫓👍出石蕎麦食べたかったですが…まんえん措置で自粛してるお店が多くまた次の機会に、出石に訪れようと思います。
次回は十割蕎麦食べたいなぁ〜🥺
歴史を感じさせてくれて、街のシンボルでもある。
人々が観光資源としても愛しているランドマークである。
思ったより大きいです。
隣の池にはたくさんの鯉がいます。
出石町のランドマーク、辰鼓楼。
辰鼓楼は明治時代に出来た時計台で但馬地方の建造物。
名前の通り辰の刻に太鼓で時刻を知らせるための楼閣がはじまり。
竹田城跡からの観光ルート、出石そばのランチがオススメ。
兵庫県の方が自動車免許をとって少し遠出のドライブを楽しむのがこの辺りです。
出石・辰鼓楼のあたりでそばの昼ごはんを食べたあと、植村直己の記念館、更に遠回りすれば豊岡のコウノトリ関連の施設や ゆるキャラで有名な玄武洞を日帰りでドライブ出来ます。
ところで出石そばは、それより歴史が古く江戸時代に信州藩のとのさまが国替えで赴任された時に職人を連れてきたのが起源のようです。
あまり知られていませんが、神戸ビーフや松阪牛はこの辺りで生まれた但馬牛の仔牛を育てているそうです。
辰鼓楼(シンコロウ)は木造4層建て、高さ13m。1871(明治4)年、出石藩により建てられる。当初は最上部で太鼓を打ち鳴らし時刻を知らせていた、その後1881年に機械式時計が設置され時計台となる。ちなみに札幌農学校演武場が、1878(明治11)年に木造2階建て、高さ約13.3m。それから3年後の1881年には改築されて札幌時計台となる、時計塔6.5mが上部に付設されてアメリカ製時計が取り付けられて、鐘を鳴らしはじめる。ここ出石と遠く離れた札幌が同じ年から共鳴するように時を知らせ創めたようだ。見た目はこちらの方が高く見える。廃藩置県が明治4年8月、全国261の藩を廃し、3府302県がまず置かれ、同年末までに3府72県となった。
この明治4 年、日本も出石も維新が動いている。
外から眺めるだけやけど🎵最古の時計台とのことかなり大きいなぁ‼️出石そば美味しかった😋🍴💕口当たりが良く小皿での提供なので次々と食べてしまって💦後で食べ過ぎて苦しい😅12皿頂きました👅ダンナは18皿👀‼こちらではどこの水道を使っても水が冷たい👀暑い時には嬉しい😃⤴️トイレ出てからしばらく手を冷やしてました🎵出石焼きの湯飲みも購入✌
2年前の同時期に初めて出石を訪問した時、辰鼓楼は改修中でした。
今回はその際のリベンジをしたくて訪問しました。
出石の大手前通りのいたる所から辰鼓楼の存在が確認でき出石のシンボルだと思いました。
辰鼓楼以外にも、近くに出石のおそらくシンボルがありました。
午前中はかなり逆光です💧出石そば食べ歩き楽しいですね。
最高の観光スポットです。
ひときわ目を引く辰鼓楼は人気スポットですね30年ぶりくらいに訪れましたが、古い街並みや町屋は趣きがあります城下町の散策は小さな発見もあり興味深いものとなりました。
出石町の中心街にある街のシンボルの時計台です。
周辺には蕎麦屋さんやお土産屋さんが多くあります。
札幌と同じ年に時計台となった歴史のあるものです。
時計台を背景に多くの方が写真を撮っています。
また、これを見ながら食べられる蕎麦屋さんが何軒かあります。
出石町をイメージすると辰鼓楼というほどの町の象徴です。
周辺の町屋は多くが観光商売のお店です。
皿そばの店の多いことは特筆に値しますが、前もってお店の情報(特に価格と追加皿そばの料金と税込か税別か、一応評判、駐車場の有無など)を調べて行った方が良いと思いました。
私は血糖値の問題で今回は、どの店にも入れませんでしたが(悲)次回訪れるときは下調べをしていこうと思っています。
(20皿で3000円目安くらいかな・・結構いい値段です)月曜だったので観光客は少なかったようですが、本当にこれだけ蕎麦やと土産物店がひしめいていると、観光で持っている町なので商売も競争で大変だろうなと思ってしまいます。
余計なお世話ですが。
辰鼓楼の前では写真を撮る人達が多く、中国か台湾の人達も見受けられました。
豊岡はカバンが有名で、出石町内にも小物入れカバンを売っているお店が複数あります。
国産品は縫製がきちっと出来ているのが目安なので、こういった所を見ながら散策するのも良いと思います。
昔に比べあまりの観光地化に少しとまどい星は三つ。
路上駐車はできませんが、国道482号に出た所に「緑のランドマーク」駐車場(おそらく無料)があります。
健脚な方はここに停めて2キロくらい歩けば町中です。
洋風でスタイリッシュな建築物の良さもありますが、こういった和のテイストの感じられる美しさもまた楽しみの1つかと。
城下町の街並みと調和の取れた雰囲気。
小京都のシンボルと言われるのも納得ですね。
いつまでも遺して欲しい景色です。
出石城下町のシンボルともいえる時計台。
城下の町並みと見事に合っている。
バックに写真を撮る人も多く、けっこうなインスタ映えが狙えるかと。
お蕎麦を食べにいくならここですね!
旅の思い出の写真を撮るのにいいですね。
2017/10/20まで修理工事中のため見ることができません。
丹後地方に旅に行けば 帰りに必ずと言ってイイほど立ち寄るのが出石 お目当ては当然ながら 「出石そば」 大手前駐車場に車を止め お気に入りの蕎麦屋に行く道中の 直ぐに有るのが辰鼓楼で 前を通る時には いつも記念写真を撮る観光客がいるほど 出石の蕎麦と肩を並べるシンボル的なモノになっています明治初頭の廃城令により 出石城も廃城されたモノの 辰鼓楼は残りました そもそも辰鼓楼は 辰の刻に 太鼓を打ち鳴らし 城主が登城した事を知らせる為のモノであり 1871年に 現在の形の原型となるものが再建され 1881年には現在の機械式時計が備えられたとの事ですなお 辰鼓楼は1881年に出来た 日本初の時計台として知られていますが 札幌農学校の時計塔も 同年に設置され どちらの方が早かったのか 定かではナイとありますが 私はソンな事 どちらでもイイではナイかと思う次第です⁉
街のシンボルとして悠々とそびえる姿は良いけど、ここの写真を撮ろうとした時、隣の道路の車通りが多くて、その点は残念だった。
時計はシンボルで人通りの多いところになるのはわかるけど…
名前 |
辰鼓楼 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0796-52-4806 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
出石のシンボル「辰鼓楼(しんころう)」の大時計が時を刻み始めた日は、1881(明治14)年9月8日。
日本最古とされる札幌市時計台に27日及ばず――。
辰鼓楼は1871(明治4)年に本体が建てられた。
木造4層で高さ約13メートル、石垣の高さ約5メートル。
明治政府による廃藩置県を前に、出石藩と地元有力者らが完成させたと伝わる。
廃城となった出石城のやぐら台の石垣を基礎とし、構造部材は城の廃材を活用しているという。
昭和、平成と大改修があり、現在に至る。
当初は、その名の通り太鼓を打って時を告げる楼だった。
10年後の1881年に地元の医師、池口忠恕(ちゅうじょ)の寄贈した機械式の大時計が楼の上部に据えつけられ、時計台になった。
時計そのものは時を経て新型へ代替わりしており、現在は4代目にあたる。
出石観光協会の森垣康平事務局長らによると、時計の寄贈が1881年だったことは、池口家の伝承や年表の記載などから知られていた。
しかし、この年の何月何日に時計が動き出したのかなど、詳しいいきさつは「長年、謎」に包まれてきた。
出石の人たちの月日特定へのこだわりの背景には、札幌市時計台(国指定重要文化財)の存在がある。
こちらは1878(明治11)年に建てられた札幌農学校演武場が起源。
当初は小さな鐘楼で時を知らせていたが、時計を設置して動き始めたのが、1881年の8月12日。
つまり、「出石が札幌よりも先」の可能性があったのだ。
出石観光協会は辰鼓楼本体の創建150周年事業として昨年10月、「時計が動き出した日」調査プロジェクトに乗り出した。
地元の豊岡市立弘道小学校の金庫に眠っていた明治時代の「弘道学校日誌」など史料を探し、市文化財室の石原由美子さんに解析を依頼。
その結果、弘道学校日誌の1881年6月25日付で、辰鼓楼(本体)が地元の有力者だった橋本覚次郎から学校へ寄付されたとの記述が見つかった。
さらに同年9月8日付で「辰鼓楼、修繕落成につき、本日十二時より報鼓す。
ただし、午前七時、正午十二時、午後二時なり」とのくだりを発見。
一方、旧出石藩士で同校教員だった島村賛の日記「王香日誌」にも翌9月9日付で「昨日より辰鼓楼にて時を報す」と記されていた。
「弘道学校日誌」や「王香日誌」には、時計を池口医師が寄贈したとの言及は見当たらなかったものの、池口家の伝承や年表の記載と照らし合わせて整合性がとれている。
このため、「辰鼓楼の時計が動き出した日は1881年9月8日」との結論に至ったという。