お参りすると不思議と心が落ち着く。
全国一之宮巡りで参拝しました。
午前9時、ちらりと社務所を見るとまだやってない。
う、まさか…伊射波神社の二の舞?もう一度来ることになるのではと不安にかられながらも本殿参拝しました。
その後、一通り社をまわり、本殿まで戻ると神主さんと思われる方がお掃除をされていました。
助かった。
御朱印をお願いしたところ、少々お待ち下さいとおっしゃられ、朝のお掃除が継続されました。
一連のお掃除が終わってから、徐ろに社務所に戻られ、ゆっくりと社務所を開けられ、どうぞと手招きされました。
何かよくわかりませんがその時間、とても癒やされました。
2022年GWに参拝。
但馬国一之宮・出石(いずし)神社です。
朱の門や灯篭に挟まれた参道など由緒あるさすがの貫禄でした。
一つ私のミスがありました。
ここに寄る道中でスーパーなどに寄り御朱印の代金用として小銭を用意する予定でしたが思っていたスーパーが早朝のため開店前、そのままこちらに到着しました。
落ち葉の掃除をしていた神主さんが社務所に行く私たちを見かけてか帰ってきてくださり御朱印依頼に快く引き受けていただきました。
そしていざ引取りの際に100円玉の不足があり10円や50円玉で代用してようやく300円を用意しましたが「細かいのは困るのでお題は結構です」と。
そういえば今や両替も費用が掛かりますよね・・・ではすみません1万円札でということで面倒な支払いに対処してくださりました。
その節はご迷惑をおかけいたしました。
皆様、御朱印をいただく際はしっかりとおつりの要らないように用意してくださいね。
と、自分自身反省しております。
御朱印は直書きです。
ここへ行こうと思い立ち、何度か行くチャンスはあったものの、いざとなると気分が乗らずなかなか行けなかったのですが、ある仕事終わりに買い物を済ませ、そのまま気がつけば出石神社に向かっていました。
鳥居を潜り抜けお社に向かって歩いているととても穏やかな空気に包まれたような感覚になりました。
お参りを済ませ、しばらくお社のまわりを散策したり、温かい雰囲気を感じて、帰ってきました。
今思えば、なかなかお参りに来ない私を呼んでくれていたのかも…。
やっと来た私を温かく迎えてくださったのかな?と思いました。
こうゆう話は人それぞれ思いが違うと思いますが、私個人的な感想です。
淡路島の伊弉諾神社から北に位置する由緒ある神社として紹介されていました。
とても静で澄んだ空気が流れていました。
参拝して良かったです。
駐車場も近くて広いのでとても弁利です。
但馬国の一宮です(もう一ヶ所は朝来市の粟鹿神社)但馬国を作ったとされる天日槍命(あめのひぼこのみこと)と八種の神宝が祀られているんだとか。
神宝、なるほど立派な本殿にも合点がいきます。
現在の出石城下町からは北に2kmほど離れていますが当時はここが中心街だった模様。
東経135度上にある但馬一宮出石神社⛩️新羅から渡ってきた天日槍が但馬の国を豊かな土地に変えた 開発の神。
土木に神様⛩️
但馬国一宮です。
祭神はアメノヒボコノミコト。
朝鮮半島の新羅の王子とされています。
出石の町はそばが名物ですが、コロナの影響でほとんど閉まっていました。
次に期待です。
息子の試験会場に近く、これも何かの御縁と思い合格祈願も込めて初めて参拝しました。
有り難い事に一次試験はみごと合格しましたので、再度、御礼を込めて2度目の参拝しに行きました。
ニ次試験は、まだですが、本当に神秘的な神社で御守りも買えて良かったです。
ネットで調べると本来は御朱印は予約みたいでしたが、私が伺った9月は期日までなら予約なしで買えました。
タイミングもよく、素敵な神社に出会えて良かったです。
淡路島の伊弉諾神宮の真南にあり日本書紀にも記載されてる神社ということで参拝しました観光客は少なく静かで神社らしい雰囲気でした。
出石の中心部から少し離れた場所にある古いお社です。
但馬国一宮である事から地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と呼ばれて親しまれています。
式内社の名神大社であり但馬国一宮、旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社に列せられています。
主祭神は伊豆志八前大神と天日槍命です。
伊豆志八前大神とは、天日槍命が新羅の国より持ち込んだ八種の神宝を出石八前大神とした物です。
天日槍命は古事記、日本書紀にも記載があり、それらに因ると新羅の国の王子とされています。
この事は記紀の他、「播磨国風土記」「筑前国風土記」逸文等にもうかがう事が出来ます。
八種の神宝とは古事記に因ると珠二貫(たまふたつら)、振浪比礼(なみふるひれ)、切波比礼(なみきるひれ)、振風比礼(かぜふるひる)、切風比礼(かぜきるひれ)、奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)の八種としています。
また田島間守命、神功皇后は天日槍命の御子孫との事。
創建年代は明らかではないものの垂仁3年(紀元前27年)に神宝を「但馬国に蔵めて、常に神の物とす」の記載がみられ、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と天日槍命を祀ったと記しています。
天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸、津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を残された神様として尊崇を集めています。
文献により時代に違いはありますが、天日槍命は1人ではなく、新羅から渡って来た技術者集団だった可能性が高いと思います。
この地方には天日槍命伝説を持つ神社が数多く分布している事、早い時期に稲作文化が開花していた事も見逃せません。
出石神社の実際の創祀はこれら渡来人一族が信奉する神に対して、宝物を捧げた事に始まるのかも知れません。
天日槍命に付いてはもう少し勉強しないと解りません。
その後の神社の成り立ちてとしては天平9年(737年)の但馬国正税帳に記載がある他、延長5年(927年)の延喜式神名帳に但馬国出石郡に「伊豆志坐神社八座 並名神大」として8座を名神大社に列する旨が記載されている。
但馬国一宮として隆盛を誇った当社であるが、永正元年(1504年)に守護職山名氏の内紛による兵火で神宮寺の総持寺と共に社殿を焼失。
大永4年(1524年)には社殿再興の勧進状が起草され、その後再建が完了したと見られている。
しかし天正8年(1580年)に羽柴秀吉が但馬地方を平定すると、神社を崇敬した守護職山名氏が去り、社領も没収され社勢は衰微した。
江戸時代には出石藩主の小出氏、仙石氏からの崇敬を集めた。
宝暦7年(1757年)には播磨国住人の八木田源八郎が社殿の荒廃を憂い諸国を勧進し、それによって明和7年(1770年)に本殿が、安永3年(1774年)に社殿が造営されたとの事(一部省略)。
現在の社殿は大正3年(1914年)に再建されたもので、透塀で囲まれた三間社流造の本殿、その前に切妻造り幣殿と祝詞殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸を吊り、正面に拝殿の屋根と独立した平唐破風出桁の向拜は他に類のない珍しい建築となっています。
本殿屋根には5本の鰹木と外削ぎの千木を乗せています。
私が参拝した時は出石の天気らしい雨の日で、雨音が静かな境内に染み渡る感じでした。
深い森も雨に濡れ、しっとりとした感じを醸し出し社殿の重厚な造りがいっそう映える様でした。
格式を感じるとてもいいお社でした。
駐車場は境内前に数十台分あります。
御朱印も頂く事が出来ます。
2021.03.13
但馬国一宮。
古事記や日本書紀などの記す天日槍(あめのひぼこ)伝説の中心となる神社。
それほど境内は広くないが巨木の日陰に奇麗な苔の広場があり風情ある神社。
太古の鳥居が出土したようで楼門の脇に置いてあるが、もう少ししっかりと飾ってほしい気はする。
歴史を感じる厳かな神社でした。
この日は何かわかりませんが、神事をされてました。
貴重なものを見ることができました。
近くには出石蕎麦のお店がたくさんあります。
皿蕎麦なので、滞在時間も少なくお客様の回転も早いですし、感染対策はしっかりされてますので、安心して食事もできました。
城下町から離れてるがその分めっちゃ静かさが心地よい神社でした!
大阪の神社ガチ勢の友人にここのお守りを送ったら微妙な顔をされました。
地元ではメジャーでも全国的な知名度は無いもの。
とはいえ、地元では初詣の定番となっている場所でコロナ禍でなければ正月は参拝者が行列を作り交通整理がされるレベルです。
敷地は広いが路面は整備されてない場所も多く靴が泥だらけになってしまう。
「いっきゅうさん」の呼び名で親しまれる出石神社は、但馬一宮の神社で、「古事記」や「日本書紀」にも名を連ねる山陰有数の大社です。
出石の町中は観光客で賑わっていましたが、ここまで足を延ばす人が少ないようで、静かにお参りする事ができました。
鳥居の横に駐車場があります。
隠れた名神社❗️かなり、時代と時間を感じる館だが、宮司さんがよく手入れをしている。
いいエネルギーを得る事が出来ます。
202009
但馬国の一宮として出石盆地に鎮座する古社。
自分が訪れた10月はほとんど人もいなくて静寂さに包まれていた。
落ち着いた気持ちで参拝することが出来た。
境内北東には禁足地が存在する。
Googleナビで検索して行った時何故か鳥居⛩側ではなく裏手がゴール🏁になってたのが印象的です苦笑日曜の16時前に行ったので、静寂そのもので境内は神秘的でした参拝者がちらほら、その内3割は御朱印巡り我が家も御朱印頂きました表に出ていたおみくじ、御守りの数がすごく少ないのに驚きました境内には池もあり、石畳以外も周ると大きな松が植えており、物凄く神秘な場所です。
昔々、但馬の国の一宮です。
決して絢爛豪華とは言えませんが、独特の深みを感じます。
It's the top shrine of the old Tajima country in Japan.It's not gorgeous, but has a unique atmosphere.
流石に但馬一之宮。
初詣u0026但馬五社詣りで、立ち寄りました。
本殿や鳥居に古の時代から在る事を感じさせられる神社さん!本殿真裏手に当たる山に、但馬を治めた山名氏の山城跡がある事からも、この神社の当時の立位置が垣間見れます。
行ってみて良かった場所の一つですね!
以前、仕事帰りに詣でようと来たんですが団体バスツアーとけちあってしまったんで、次回来ようと諦めました(笑)本日無事参拝⛩境内入ると空気が変わります。
張りつめた…と言うか、猫背を直さなきゃいけない!みたいな(笑)ありがとうございました🙏手水舎の水が出てなかったけど…💦
日本書紀や古事記にもその名が登場するという、古式ゆかしい神社です。
観光客があまり来ないのか、少しさびれた感じがありますが、そこが神社のもつ歴史を感じさせて、なかなかよかったです。
ただ、あまりにも観光客を意識していないせいか、ほとんど説明がない、もしくはあっても字が消えてて読めないため、ネットで情報をチェックしつつ見学しないと、どんな神社なのかすらよくわかりません。
但馬国一宮です。
祭神は、天日槍命(あめのひぼこ)。
三間社流造の本殿には弊殿、拝殿が配され、豊岡市指定重要文化財建造物に指定されています。
神門は朱塗りで、その脇には昭和8年に発見されたかつての第二鳥居の遺物とされる残欠が置かれていました。
社伝でも創建は明らかではないとのことですが、建造物(社殿)は、大正3年(1914)の再建。
境内の東北隅には、禁足地(立ち入り禁止区域)があり、立ち入ると祟りがあるとされています。
但馬国の一宮。
古事記、日本書紀に記述のある日本に渡来した新羅の国の王子、「天日槍命」と、彼が持ってきた八つの神宝を神格化した「出石八前大神」をご祭神とする。
彼が我が国に渡来してから滞在した各地には渡来人のもたらした文化の痕跡と彼を祀る神社が残っている。
あちこちを彷徨って最終的にここ但馬に落ち着いたようだ。
この辺りを開拓した功労者として篤く信仰されている。
入口に大きなヒノキの古木があり、言い伝えでは、天日槍と伊豆志八前大神が但馬国を開いたと言われています。
新羅の王子天日槍は垂仁天皇のときに、播磨・淡路・近江に所領を賜り、当時の但馬は一面泥海だったので、大地を切り開き水を日本海へ流した。
それから豊岡・出石に盆地ができたと伝えられています。
宝物は国光作の脇差(国重文)や条里制の古地図などが残されています。
市街地から離れた静かな神社。
落ち着いた雰囲気の中で参拝。
派手さは無く参拝者も少ない。
心静かに出石蕎麦をすするそんな日。
お参りすると不思議と心が落ち着く。
少し古いが整備させています。
神主が御朱印を書きに戻ってくれた!
一の宮様です。
落ち着いた境内。
優しい気に溢れた神社です。
出石市に遊びに行ったら、ぜひお立ち寄りを。
御朱印あります。
名前 |
出石神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0796-52-2440 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
豊岡駅と出石市街地との中間位の位地にありました。
歴史が感じられる、埋没地から出土した大昔の鳥居もあり、とても歴史が感じられました。
お参りさして頂き有り難うございました。