初代兵庫県庁がこの場所だったのですね。
跡地はほぼイオンモール神戸南の敷地となっています。
わずかに入口付近に、当時の石垣の石を再利用した壁が復元されています。
荒木村重との戦で活躍し、戦功として兵庫の地を与えられた池田恒興が築城。
城跡は宅地化し、遺構は無い。
初代兵庫県庁がこの場所だったのですね。
近くに「初代県庁館」が出来てたからあわせて散策するとまた違う趣きですね。
石碑あり。
発掘された石垣の一部が切り取られ神戸市埋蔵文化財センターで展示されている。
案内板だけあって、当時を偲ぶとすがはほとんど残されていません。
兵庫県の名前の元になった古い港町、そこにあった城の跡です。
城の形跡は殆ど残っておらず、記念碑だけが建っています。
あるのは看板と石碑だけです。
神戸市内は、日本一高い税金を投入して謎のモニュメントを乱立させているのに、地元の歴史の一部であるお城の復元はおろか、資料館の設置すらありません。
城の解体は当時の事情で仕方ないのかもしれません。
しかし、県名を冠する城が移築、復元に至らなかったのは、神戸市の歴史認識の低さの顕れでしょう。
神戸の人って地元愛が強いはずですが、地元の歴史がこんな粗末な扱いなのは平気なんですよね。
不思議。
立て札に説明があるだけで、建物も何もありません。
ここは兵庫城跡の碑で、発掘跡はイオンモール神戸南の地下に保存されているようです。
しかし、この周辺は神社仏閣が多く、散歩に良いところですね😊これも清盛公のおかげかな。
小さな碑があるだけですが、初代兵庫県庁はイオンモールの西に復元する計画があるようです。
イオンモールの3階にも発掘調査の時の出土物などが展示されてます。
その展示の写真を3枚載せてます。
古代より大輪田泊として栄えた兵庫港近くに天正年間に池田恒興が城を築いたことに始まります。
周辺を含めのちに太閤蔵入地となり片桐且元が代官として入城し、呼称も兵庫城から片桐陣屋と称したとされます。
なお朝鮮使節が来朝の際は頻繁に利用したとされます。
近世では尼崎藩の兵庫津奉行所として陣屋がおかれ、18世紀には上知令により兵庫津一帯は幕府蔵入地(天領)となり勤番所に改築されました。
明治時代には初代の兵庫県庁となりましたが、早い時期に兵庫港が大幅に改修され、兵庫新川運河が作られたため兵庫城跡は破壊されてしまいました。
近年発掘調査が随時行われ、馬出や堀が発見されさらには天守が存在した可能性も指摘されています。
ここは兵庫城跡の碑で、発掘跡はイオンモール神戸南の地下に保存されているようです。
しかし、この周辺は神社仏閣が多く、散歩に良いところですね😊これも清盛公のおかげかな。
天正9年(1581)池田信輝が兵庫城を築き、明治元年には最初の兵庫県庁がおかれた。
この碑だけですね。
寂しい限りです。
名前 |
兵庫城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
何かモニュメントがほしいですね。