本堂へは山門で通行禁止となっていますので、参拝する...
哲学の道のすぐ側にある寺院。
青い御姿のお不動さんがおられます。
角地に赤いのぼりが目印。
一見して御守りとかの無人販売所に見えてしまいます。
御朱印は三種類の書き置きを1枚500円となります。
哲学の道沿いに鎮座している。
幸せ地蔵尊と書かれた赤い幟に誘われてお詣りした。
本山修験宗に属し、聖護院門跡の末寺で祥雲山弥勒院が正式名。
21/02/23、参拝。
柵が閉まっていたので、外からお詣りした。
また、売店は開いていたが、人がおられなかったので、御朱印はお預けだった。
基本、無人のようですが、本堂へは山門で通行禁止となっていますので、参拝することはできません。
参拝できるのは道路際にあります、護摩堂(乗越え不動尊)と地蔵堂(幸せ地蔵尊)になります。
写真撮影もOKで、参拝は自由にできます。
御朱印も書置きですが用意されていましたので、300円を納めていただいてきました。
哲学の道の途中にある。
春は桜が咲いて美しい景色を楽しめる。
哲学の道を歩いていると 赤色の旗かなびいていて、気がつきました。
不動明王様の姿が、印象的でした。
近くの水辺は鴨が羽をやすめ、色々な花が咲いてました。
銀閣寺から哲学の道を歩いて5分程の場所にありました。
無人の神社でしたが、地域の方に大切にされている神社だと感じました。
中には乗越不動尊が祀られており、御朱印が3種類、大日如来と幸せ地蔵、乗越不動明王がありました。
桜祭をやっていて、寺の前の屋台でわらび餅を販売していました。
哲学の道沿いに、有ります。
不動明王様が凄く、印象が有ります。
ご利益ありそうですね。
これも何かの、ご縁ですね。
感謝です。
弥勒院開山して約300年、現在地に移転してから約100年。
京大病院のあたり東大路にもともとはあって、道路拡張で移転した。
本山は聖護院。
前住職は昭和25年生まれ、山伏。
春は葛城山、夏は大三輪山、富士山、など山に行っているのが、住職の仕事。
役行者関連の山に登っていた。
今年は、太宰府、宝満山(ほうまんざん)、岩場のすごいところ、石鎚山(いしづちさん)。
播州の雪庇鉱山(せっぴこうざん)など。
元は、長泉寺(ちょうせんじ)で、これが始まり。
在家の山伏が発心をして建てた。
その頃「水垢離(みずごり)」という信仰が流行っていた。
富士山を遥拝してご祈祷をしていたのが始まりだった。
明治になって、明石の弥勒院を合併して弥勒院となった。
それまでは、お堂だった、それまでは、ご祈祷で生計を立てていた。
明治4年~明治18年は、修験道が廃止されていた。
息子が五代目、聖護院に勤めている。
聖護院の末寺が150~160ヶ寺、ちゃんと活動しているのが100ヶ寺ぐらい。
明治までは、三万ヶ寺くらいあって、全国に数万人山伏がいてた。
聖護院に。
明治の廃仏毀釈で、末寺は農家、神社、他宗派に移って、残ったのが、300~400。
檀家組織のない寺なので、食べていけなくなって、残っているのが、150~160。
うちは、本山に勤めることで維持できた。
三室戸寺、宇治平等院。
立ち退きのおかげで、本堂を広くできた。
それまでは、今の3分の1程度だった。
明石の弥勒院は、明石藩の祈願寺。
明治に後継者がなくなり、ここを合併した。
明石の弥勒院は、高い位置にあった。
①門跡②院ぜき③せんたつ④ねんぎょうじ明石は④ねんぎょうじ、くらいの寺だった。
明治維新で後ろ盾がなくなって、やっていけなくなった。
私(前住職、話者)の妹が明石に嫁いだ。
魚の棚に近いところにあった。
明石の弥勒院の仏さんは、神戸に移されて、神戸で空襲にあって焼けた。
今の仏さんは、長泉寺からの引き継ぎ。
表の地蔵尊は、戦前に、京都室町の商家にあった地蔵さんを預かった。
お堂の中で祀っていたが。
元の持ち主の親族と話をして、譲り受けた。
表には、もともと土蔵があった。
昭和50年頃、地蔵さんだから、表に祀ったら、という話がでて、昭和55年頃に、風で、壁がぱったりと、そこだけ倒れた。
京都市内で被害があったのは、その壁だけ。
それで、これは、と思い、土蔵を潰して、表に祀った。
お地蔵さんを表に出して、横に護摩堂を作ったところ、お地蔵さんのひたいから顔に傷がはいってきたので、修理したら、もとの端正な顔がでてきた。
横のい不動明王の画像が本尊。
ここの本堂にある不動明王の画は、ねぶたの絵師。
やしまりゅうせん。
青森で護摩、修験道を復活、そこで話が通じて、絵を描いてもらうことになった。
山伏問答を青森でやって、迫力があると、評判になった。
毎月18日、護摩をたいている。
4月には花祭り、8月には精霊送り、鴨川で流していたのをやめて、お寺でお供物を預かるようになった。
8月28日にさいとごま、庭で護摩をたいて、100人位の山伏が来る。
もともとは聖護院の末寺、大悲山峰定寺(ぶじょうじ)京都北。
藤原信西(しんぜい)が建てた寺で、ここは住まいだった。
父の代(3代目)になってから、なんかせな、ということで始めた。
本尊の厨子の前に鏡、大日如来は、毎年8月28日のみの御開帳。
役行者は金仏。
聖護院と同じデザインなので、聖護院と同じ時期に作られたのでは、と思う。
むかって左端にある弁天さんと周囲は童子、弘法大師空海が、護摩をたいて、その灰で作った。
後ろに左手の手形がくっきりと残る。
以外に小さい。
今の女性くらい。
右側の頭の長い上人像は智証大師。
哲学の道沿いにある寺院です。
銀閣寺寄りに位置しています。
私が訪れた時は門が閉まっていて中には入れなかったのですが、目の前に幸せ地蔵尊がありました。
そちらで参拝を済ませた後、ふと横を見ると和紙に予め書かれていた御朱印が置いてありました。
御朱印は2種類あり、各々300円でした。
無人ですので、料金箱に志納金を支払って頂戴して行く形です。
御朱印は可愛らしい袋に入れて持ち帰り、御朱印帳には自分で貼り付ける事になります。
Beautiful shrine
017枚繪馬-京都哲學之道-弥勒院 幸せ地蔵尊 感謝 Dodge Lin
大日如来、幸せ地蔵の2種類。
名前 |
弥勒院 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
075-771-2277 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
本山修験宗の総本山、聖護院門跡の末寺です。
本尊は大日如来です。
哲学の道に面しています。
敷地北西角に幸せ地蔵尊があります。
バス停銀閣寺道から徒歩10分、銀閣寺バスプールから徒歩5分です。