なだらかな坂道の参道に趣があります。
22年6月8日に訪れました。
『崇道神社』の御祭神は崇道天皇です。
桓武天皇の弟で、冤罪によって非業の死を遂げた早良親王の霊をなぐさめるために建立されました。
崇道天皇は早良親王が死後に贈られた称号です。
この地の氏神で、湧き水の神であり、農業の神である伊多太神社や、小野妹子、小野毛人が祀られた小野神社などもあります。
小野神社の近くに滝がありました。
御朱印は無人の社務所に置いてあったのをいただきました。
この時期人も少なく、参道は長く、境内は広く、静かな神社でした。
奈良時代の末期、光仁天皇の皇子であり反桓武天皇の中心勢力として捕らわれて自害した早良親王の霊をなぐさめる為、崇道天皇の追号を贈り都の鬼門にあたる地に祀られたのが始まり。
二つの鳥居を潜ると真っ直ぐの参道が厳かな雰囲気の木々のトンネルの奥に拝殿が控えています。
静かな佳い雰囲気の神社です。
境内の中には小野神社があり、遣隋使で有名な小野妹子の子供 小野毛人のお墓が在ります。
祭神は平安時代の桓武天皇の弟である早良親王です。
祟り神になりますが、この神社の参道は本殿まで一直線です。
この地で亡くなっていないので祟らないのでしょうか?本殿の横には役行者の祠もあります。
両脇木々に囲まれた一直線に延びる長い参道を進むと、境内に上がる石段手前を右側に曲がると結構な広さの駐車スペースがあります。
本殿は、早良親王(崇道天皇)が御神祭で祀られる御霊社です。
静かな参道から石段を登るとまさに神域を感じさせる独特の雰囲気が、最奥の本殿は、薄暗く少し近寄り難い独特の雰囲気が漂っていましたが、境内は大変綺麗に手入されたされており清々しくお参させていただきました。
基本的に無人のようです御朱印は書き置きの物がレターケースに(300円)で置かれいました。
このあたりの土地柄かもしれないけれども、急に雷が落ちて雨が降ったり止んだり、蛙?か猿?の声がこだましたり畏敬の念が生まれる神社です。
気軽に記念撮影したり観光するようなところではないと思うけれども、神社好きな人は一度は参拝に行ってみてほしいなあ。
雨の日の神社も乙なもの場所的にも市内から離れているせいか人と、合うことがほとんどなく入れ違いですれ違うぐらいです。
パリッとした気持ち良い神域です。
厳かな感じの静かな神社⛩️です。
【エクシブ京都八瀬】から近い場所に有るので、京都観光の帰りに時間が有ったので寄らせて戴きました‼️👌。
厳かな雰囲気を感じられます。
静かで寂しい神社ですが地域では、大切に守られていると感じました。
若狭路に沿って一の鳥居があり、その佇まいから心に騒ぎを起こしそうな気持を抱かせる。
紅葉の季節、あたりには人影もなく、ひっそりとした赴きに神秘さえ感じる。
早良親王を祀る神社であるという案内板を見て、この御仁の生涯を受け止め、鎮魂の祈りを込めて参内させていただいた。
長い参道をおもむろに進むと、時折、吹き付ける山風が、親王の存在を思い起こさせる。
何かに胸騒ぎを思い、神前では心を込めてお祈りをささげた。
その時、背中を覆いつくす大きな力を感じた。
巷では、隠れたパワースポットといわれるが、まさにその一端かもしれない。
静かな場所ですが、心が癒される神社です。
桓武天皇の弟の早良親王を祀ります。
訪れる人は少ないようで、ひっそりとしていました。
ここは平安京に遷都した桓武天皇の弟である、早良親王(さわらしんのう)を祀っている神社で、のちに崇道天皇という諡(おくりな)を贈られた人です。
ちなみにこの人、日本三大怨霊の一人です。
あとの2人は学問の神様で有名な菅原道真と、平将門です。
なぜそんなに怨念を抱くことになったのかは、早良親王でググって下さい。
私が訪れた日は祭りみたいな雰囲気で、結構人がいました。
帰りに袋を一人ずつ渡され、「上高野(ここの地名)の人ですか」と聞かれたので、「いやー大阪からです。
今日は何かの日ですか?」と返すと「オヒタシサンデス」オヒタシ?お浸し?よくわからんまま会話は流れて、お神酒までもらってほろ酔い気分で神社を後にしました。
帰りに祭りの一覧を見ると『お火焚き祭』おひたきね。
蓮華寺のすぐ横にあります。
桓武天皇の親族、早良親王を祀る神社、訪れる人も無し、歴史的には興味深い。
是非由縁を探ってください。
早良親王が藤原種継暗殺に連座したとされ、ハンガーストライキの後、憤死。
その後の桓武天皇周辺の不幸や、疫病により、長岡京が廃される。
平安京に遷都されてからも、早良親王の祟りを恐れ、御霊社が多く祀られた。
その中でも、早良親王を単独で祀るのは、崇道神社だけである。
神社名は早良親王の死後、追号された崇道天皇に由来。
よくネット上で、恐怖スポットだの祟り神の社だのと興味本位で取り上げられるが、御祭神に失礼な気がする。
また地元の方にとっても迷惑なはなしかと。
多くの人が「祟る・たたる」と「崇める・あがめる」の漢字を勘違いしとりゃせんか?緩やかな登りの長い参道を歩くと、雨上がりの山の香りに洗われるようで気持ち良い。
お社に参拝し、自分の出身地を告げると、雨雲が切れ、辺りに陽が満ちた。
寒冷前線が過ぎ、高気圧が張り出してきたからだ、といわれれば、確かにそれだけのはなしでは、ある。
休日でも静かな場所です。
宮司さんがいらっしゃる時は手書きの御朱印をいただけます。
参拝道が長閑とした雰囲気で良い。
光仁天皇の子供、早良親王は兄の桓武天皇の即位により皇太子となったが、讒言により廃太子、そして淡路に配流される途中、飲食を絶つなど壮絶な憤死をした。
死後都に悪疫が蔓延したため早良親王の怨霊による祟りであるとして死後祟道天皇として追号された天皇を祀る神社です。
祟を鎮める為、祀られる神社として一番有名なのは今は学問の神様として有名な菅原道真を祭る天神さん(天満宮)です。
すぐ西隣の蓮華寺は今や観光寺院となり連日、観光バスが往来するがこちらは実に静かなもので趣がある神社の奥には小野妹子の実子の墓がある。
Sudo Shrine is located in Kami-Takano ( northern part of Takano River ). The river flows down from north toward west into this part of Sakyo-ku and takes its curve to the south and splits in 2 ways ( west and south ) in Matsugasaki area. The place enshrines the spirit of Prince Sawara Shinno, the son of Emperor Konin, who died in 785 AD. Prince Sawara Shinno was also the younger brother of Emperor Kanmu who was the founder of the city of Kyoto ( Heian-kyo ). Since his birth mother ( Uba = bio-mother ) was Takano Niigasa and it is believed to have the connection with the name of Takano River. ( Trans-word+ : TGM Kyoto Guide )
なだらかな坂道の参道に趣があります。
御朱印頂けます。
崇導神社,十一月紅葉。
名前 |
崇道神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-722-1486 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
緩やかと言えば緩やかですが、とにかく距離があります。
ひっそりとした寂しい神社です。
宮司さんがおらず、書き置きの御朱印でしたが、個人的には好みのタイプです。
崇って漢字、カッチョいいですよね~