昔から此処は「ドン」と言って居ました。
此処は忘れたくても、忘れ事は出来ない所です、此の堂之上は、実は母親の実家があり、幼い頃は夏休み、冬休みは、此の母親の実家で暮らして居ました(口減らし)そして遊び場が堂之上でしたね。
此処は母親の実家の上に有って、昔から此処は「ドン」と言って居ました。
子供時代に何故?「ドン」と言うか知りませんでした、ですから此処が遺跡とは解る筈もありませんでしたね、今は綺麗にされますが、約60年程前は、細い道があり此の道は余り利用して居ませんでしたね。
名前 |
堂ノ上遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.shiga-ec.ed.jp/www/contents/1438304524592/html/common/other/55d173d3015.pdf |
評価 |
3.0 |
琵琶湖の南端から流れる瀬田川の東側に位置する。
さらに東側に近江国庁跡がある。
以下、大津市歴史博物館Webページより。
「発掘調査で、礎石をもちいた瓦葺の建物跡と特殊な間仕切りをした掘立柱建物跡を確認。
同地は、東海道と信楽に通じる道の分岐点にあたる交通の要所で、承和11年(844)の年号を記した瓦の出土などから、奈良から平安時代の瀬田の駅家(うまや)跡と見られる。
国指定史跡。
」