ここまで坂を登れる車が市販されるようになったのはさ...
道が舗装されたのはおそらく昭和の後期だろうし、ここまで坂を登れる車が市販されるようになったのはさらに後かもしれない。
集落は裏山に登る道にも続いている。
(その先に茶園がある。
)裏山への坂の途中に町長を長く務めた家の立派な家屋がある。
小学生は雨の日もその坂を上り下りしていた。
そんな集落にある。
入場料無料で永谷宗円さんのゆかりの地元の方(女性の方でした)が、ボランティアでこちらの館長されておられて、永谷家の歴史、宇治茶の歴史、、美味しい煎茶の入れ方まで、説明して下さりました。
また煎茶の試飲もさして下さりました。
一杯目はぬるいお湯で、2杯目は熱いお湯で、同じお茶っ葉で作って下さり、味がそれぞれ違う事が分かりました。
有難うございました。
また永谷宗円様が、宇治田原市出身の方で、日本の緑茶を(宇治茶)最初に作られた方で、あの日本人なら誰しもが知っている、お茶漬けで有名な永谷園の創業者の方が永谷宗円さんの次男の方の家系の方とあらためて知る事が出来て、嬉しく思いました。
永谷園のお茶漬けは日本の国民食であり、子供のころから美味しく頂いていました(大好物でした)ので、感激しました。
またこちらでも緑茶を、販売もしておられ、宗圓という煎茶(緑茶)をありがたくお土産に買わしても頂きました。
お家帰ってからも美味しく煎茶頂きました。
香りも素晴らしく味わい深いお味で、美味しく!頂きました!緑茶も入れ方一つで味が違う事も教えていただき、有難うございました。
世界で初めて緑茶の製法を考案した永谷宗円の生家を再現した場所です。
平日は閉まってます。
ご注意を。
集落の奥にありとてもしずかな場所です。
ここでいつも飲んでる緑茶が生まれたと思うと不思議な感じがします。
お茶漬けで有名な永谷園さんの碑が建っています。
それもそのはず宗円は永谷園のご先祖様だそうです。
日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円の生家。
集落を進んだ奥の小高いところにありました。
6月に行きましたが紫陽花がとても綺麗で眺めながらお茶をいただき素敵な時間を過ごすことができました。
建物は再建ですが、当時の焙炉跡が残っていて揉み茶のルーツを間近で見学出来、感慨深いものがありました。
10分強のビデオ鑑賞でお茶の知識も身につきます。
約束ゲンマンしたよね。
お墓もね!!
昭和35年、永谷家があった場所に茶をもみ上げながら乾燥する『焙炉(ほいろ)』を保存する施設として「生家」が建てられた。
永谷宗円は15年の歳月をかけて、日本緑茶の製法を開発したとされるが、これを実証する史料に乏しいようで、何代かの継続した事業と見なされているようだ。
しかし、斜陽となりつつあった宇治田原の茶を江戸で販売するルートを開拓したことは証明されており、その功績は大きい。
宗円直系の子孫は現在も茶問屋を経営している他、「永谷園」創業者も輩出し、宗円は昭和29年、そばの茶宗明神社に「茶宗明神」として祀られている。
なお、周囲は道が狭いので、車での乗り入れはお勧めできない。
ふりかけの永谷園と深い関係とは知りませんでした。
道中道が狭いですが、そこまでの道程が楽しめます。
土日に訪問すると、永谷宗円のビデオを見せてもらいながら、お茶をいただけます。
紫陽花が満開で見事に咲き誇っていました。
日本の緑茶を考案した永谷宗円の生家。
テレビで度々紹介されてますが、観光地擦れした雰囲気は全くなく地元のボランティアの方のご説明はフレンドリーで大変勉強になりました。
お茶漬け海苔で有名な永谷園は親戚筋らしいです。
五月上旬の新茶祭りの時は多くの人で賑わうとのこと。
アジサイを見るために再訪。
生家も良いのですが、周辺のアジサイ園も一見の価値あります。
宇治田原:湯屋谷の静寂な茶宗明神の脇ある。
年1回新茶まつりに今日参加。
日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円の生家後で,『日本緑茶発祥の地・宇治田原』を象徴する施設です。
新芽の茶葉を蒸し、焙炉(ほいろ)と呼ばれる器具の上で茶葉を手もみ乾燥させる青製煎茶製法をこの地で考案しました。
無料の宇治田原町の観光周遊バスで湯屋谷バス停で下車し、坂道を歩いていたら、ボランティアの方が帰られる所でした⤵️3時までとは知らず、わざわざ戻って開けてくださいました。
緑茶の成り立ちのビデオを見て、美味しいお茶をいただきました。
内部が公開されているのは、土、日祭日のみです。
宇治田原町にあって町の保存会の方が宇治茶について説明いただき煎茶を見学者に出されています。
萱葺きの保存も確実に行われていて宇治田原町の宝だと感じました。
美味しいお茶がいただけるのは宗円さんの15年の努力のおかげ。
赤穂浪士の時代には緑の煎茶はなかったんですね。
江戸で販売を引き受けたのは宇治山本村の嘉兵衛さん。
江戸で紙漉きを生業としていたそうですが宗円さんのお茶が大当たり茶商となったのが現在の「山本山」です。
今は海苔で有名ですが紙を漉くのと海苔を作る作業が似てたから海苔を扱うようになったという話がありますがホンマかな?直系のご子孫は宇治六地蔵で茶問屋を営んでおられます。
今の煎茶を開発普及させた永谷宗円の生家跡です。
風鈴で有名な正寿院に参った後に偶然立ち寄りました。
生家に向かう道が狭そうだったので、1キロ程度歩きましたが、正寿院よりは狭くなかったです。
生家に着きましたが、人の気配がなく、先に神社に参っていると、隣の家の方が永谷家に関係のある方のようでボランティアをされているようで声をかけていただき、案内していただきました。
その方からテレビを見ながら永谷家のことをいろいろお聞きしました。
その上、美味しいお茶を頂きました。
歩いてきたので余計においしかったです。
お茶漬けの永谷園のルーツ。
紫陽花の風鈴描かせて頂きました。
日本茶800年の歴史散歩。
名前 |
永谷宗円生家 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-88-6638 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
あいにく平日は休館日。
土日のみです。
でも紫陽花が満開できれいでしたよ。
多分管理してる方だと思うんですけど、たくさん紫陽花をいただいて挿し木にしました。