極めて良好に遺跡が整備されています。
小田城跡 遺構復元広場 / / .
筑波山のお膝元に小田城址あるて知らなかった。
城跡の外周をのんびり散策、とても気持ちの良い朝です。
おトイレは8時頃開きますの。
小田氏の祖先は鎌倉殿の13人のうちの一人下野国(栃木県)八田氏である。
つくば市周辺を支配下に置いたが佐竹氏と北条氏の狭間で舵取りが難しかったようだ。
この城を度々取られ土浦に逃れ再び取り返したりしていた。
城跡は復元されそれなりに広い平城である。
城跡の南側も復元するのだろうか、かなり広大な野原で草刈ってあります。
付近には鉄道跡のサイクリングロードであるりんりんロードや資料館あります。
資料館はかなり深掘りしておりとてもよかったです。
宇都宮氏は栃木県益子町の茨城県よりが発祥である。
県境あるがこの一帯のルーツは一緒かもしれません。
宝篋山の裾野、桜川の低地に張り出した部分に作られた平城の遺跡の中心部分のみを復元した広場。
古地図を見ると1㎞四方を越える小規模な総構えといえるような縄張りであったが、特に北側は市街化が進み復元されたのは本丸付近のみ。
以前はここも筑波鉄道が完全に横切っていたが、廃線に伴って後に作られたりんりんロードは迂回している。
休日でも訪れる人は多くないのでのんびりと往時の情景に想像を膨らますことが出来る。
芝生の広場。
広場はけっこう広くてちょっとしたボール遊びもできます。
芝生の高台にも登ることができてそこを散歩もできます。
が柵などは無いため、落ちないようスマホ歩きなどはやめたほうがいいです。
池などもありとても風情ある場所で落ち着けるところだと思います。
広く開放的な公園、小田城跡歴史ひろば案内所と合わせて訪れれば堪能出来ますね。
筑波山脇にひっそりありますが、整備も行き届いていて楽しめます。
一度は真ん中に電車を通してしまったものを、廃線の際に復元してあるのも興味深いです。
2021年4月3日につくばりんりんロードをサイクリング中に立ち寄ってみた。
広大な芝生広場があり気持ち良かったが、もう少しベンチがあると良かったのかと思った。
茨城県つくば市小田にある小田城。
源頼朝に従い鎌倉幕府創設に軍功を上げた八田知家が常陸守護に任じられ、小田に構えた居城が始まりとされる。
始めは主郭の周りに1重の堀を巡らせてた程度だったよう。
その後南北朝時代から戦国期にかけ実戦を繰り返し最終的に3重以上の堀を設けた強固な平城となる。
さて、その小田城が復元整備され歴史広場として開放されている。
佐竹氏が治めてた頃の強固な守りをした姿のよう。
とても綺麗に整備されておりつくば市の力の入れようを感じる。
高土塁などは無いが、水壕跡の痕跡が明瞭に残る。
築城当初は、本丸跡を中心に、四方に濠と土塁を廻らした単郭式の館であったといわれる。
宝篋山の南西の尾根のふもとに造られている東西約1km、南北約700mの平山城である。
戦国時代は湿地帯であったので、城附近の堀のほとんどが水堀であったと思われるが、現在は多く水田になっている。
城の中心部に東西120m、南北140mの方形の主郭があり、土塁と濠に囲まれている。
土塁の西・東・南の隅には櫓台が認められる。
主郭周辺の郭には、馬出しや帯曲輪跡がある。
濠や土塁には、随所に折りや喰違いがあり、虎口には馬出しの他に枡形も多く見られる。
歴史好きならご存知の方も多いだろうと思います。
映画でも舞台になった事があります。
リンリンロードに立ち塞がるように迂回させられる場所です。
お城の形は窺い知れる事がありませんが、資料館でおぼろげながら当時を想像する事ができます。
1月には恒例のどんど焼きが実施されました。
空が広くて、晴れた日に歩くにはいい場所です。
土塁とか堀とかもきれいに整ってて、城跡というかんじ。
凄いスケールです。
歩いてみる事を お勧めします。
小田城(おだじょう)は、現在の茨城県つくば市に存在した日本の城。
国の史跡に指定されている。
鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖・八田知家が文治元年(1185年)に常陸国守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると言われる。
その後、南北朝期には、当主・小田治久が南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となり、北畠親房や春日顕国なども入城している。
下って戦国時代の弘治・永禄年間、当主小田氏治は佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信、小田原の後北条氏らと抗争を繰り返した。
後北条氏と結んだ小田氏治は、永禄7年(1564年)に山王堂の戦いで上杉謙信に敗れるなど苦戦を強いられ、激しい小田城争奪戦が繰り広げられる。
天正元年(1573年)の手這坂の戦いに敗れ、小田城は佐竹氏のものとなり、翌元亀元年(1570年)に太田資正が城主になり、同3年(1572年)に資正の子の梶原政景が城主になった。
のち、佐竹氏の一族・小場義宗が城主になったが、慶長7年(1602年)に佐竹氏の秋田移封に伴って廃城になった。
近年コアな人気を博している戦国の不死鳥こと小田天庵の城遺構の発掘から公園風になってるが、特に何かある訳でもないし、本丸跡は小規模水堀は完全に乾いて空堀になっている。
土塁、堀跡、館や庭園跡の表示などよく整備されている。
車でなければ土浦駅から関東鉄道バス筑波山口方面のバスでOK。
非常に大きな平城の本丸近辺を公園化したものだが馬出しの様子もよく分かり城跡好きには良いかな?
真壁城や逆井城のように、茨城県は復元に熱心でしょうか? この小田城も本丸付近の城塁や堀が良く再現されています。
北東、南東の城塁の出っ張り、北東南の虎口、木橋、南の馬出しなど、見所が多いです。
が、公園として楽しんだり、サイクリングしている人が多く、相変わらず城跡ファンは少数派です。
のんびりした雰囲気です。
城を建てて子供向けの遊具があれば客が結構来るのでは、と思いました。
りんりんロードの休憩所も近くにあって、おもしろい観光スポットになるといいのですが・・・
城跡が復元されています。
本丸跡を横断していた筑波鉄道の線路跡も埋めて整地されています。
より往時のイメージになっています。
極めて良好に遺跡が整備されています。
堀や土塁が復元されていて、見応えたっぷりです。
どんど焼きで、来ました。
結構広く、屋台がでてたり、餅つきしてたり、戦国武将がいたりで、たのしかったです。
飲料の自動販売機が敷地内にないので、案内所の近くまで歩く必要があります。
古い城跡。
暗渠がかなり精巧に作られていて、コレを見るだけでも価値アリ。
土手ではダンボール滑り台が出来ます!
国指定の史跡で、全体の遺構が綺麗に復元されています。
中世の平山城の典型的なモデルとして一見の価値はあります。
但し、城閣物はありません。
名前 |
小田城跡 遺構復元広場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-867-4070 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/bunka/rekishi/1001640.html |
評価 |
3.9 |
真壁城で ガッカリ😖⤵️した後に伺いました 資料館右側に身障者向け?駐車場 左側に一般向け約20台分くらい ナンチャッテ天守閣等はなく 綺麗に整備され 説明の立て札が 豊富で 何より広い 勝手にBBQ跡もなく 最後まで楽しめました 又資料館裏は 昔 電車が通っていたらしいです 土塁の上は 手すりが無いので お子さん連れは要注意 又サイクリングコースは 自転車が 後ろから音もなく抜いていくので 危ない&イラ~です。