古戦場公園南西部の道路沿いにあります。
長久手の戦いにおいて亡くなった池田恒興の嫡男、池田元助の供養塚です。
恒興と元助は羽柴方として天正12年1584年徳川家康が率いる軍勢と激突し親子共々討ち死しました。
古戦場公園の南側にあります。
池田恒興の嫡男、池田元助 戦死の地。
池田恒興の嫡男/池田紀伊守元助の戦死地「庄九郞塚」庄九郞は幼名。
この激戦地から脱出し家名存続させた弟が、後の徳川家康の娘婿/姫路城主:池田輝政とは何と歴史の運命でしょうか⁉️だから歴史は面白い🤔
2022年2月下旬に小牧・長久手の戦い関連史跡巡りで初めて行きました。
古戦場公園の南端にあります。
こちらは、池田恒興の長男で岐阜城主の池田元助(幼名庄九郎)が戦死した場所と伝えられます。
岩崎城を攻め、城内で守っていた長久手城主が亡くなり、長久手合戦で岐阜城主が亡くなりドラマを感じることができました。
池田勝入斎の長男の墓だそうです。
目立たない場所にあります。
池田元助が討ち取られた場所です。
江戸時代に建てられた石柱には「池田紀伊守之助戦死場」と刻まれています。
長久手合戦図屏風には安藤直次に今まさに首を取られようとする姿で描かれています。
この戦いで恒興と長男の元助が戦死したために、池田家は次男の輝政が家督を継ぐことになりました。
それにしても、この庄九郎塚は石碑のすぐ脇を檜と赤松の二本の大木が石碑を倒さんばかりの勢いで伸びています。
「元助死して墓木すでに拱す」といったところでしょうか。
古戦場公園南西部の道路沿いにあります。
園内から行くより南西の通りに出てから行ったほうが場所がわかりやすいです。
以下は看板記載の説明文です。
----------国史跡 長久手古戦場 庄九郎塚 池田之助[ゆきすけ](1564~84、庄九郎、元助、紀伊守)の戦死の場所と伝えられています。
之助は池田恒興の長男で岐阜城主、天正12(1584)小牧・長久手の戦いの時は、父に従って参戦しました。
父や義兄(森長可)とともに家康本拠の岡崎奇襲を企てましたが失敗し、戦死しました。
残された一子元信は、秀吉の馬廻に取り立てられ、その後秀頼に仕えましたが、大阪城落城前には本家池田輝政(之助の弟)の家来になりました。
塚名は之助の幼名庄九郎にちなんで名付けられたものです。
長久手市教育委員会。
名前 |
庄九郎塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
池田恒興の長男の戦死した場所とされています。