八大龍王をお祀する神社となります。
黒坂と和合を結ぶ舗装林道の和合集落にある神社です。
この和合に降りる途中には茶畑が広がり、三河山間部によくある過疎地域のようですが、山は手入れがゆき届き、長閑で美しい集落です。
この集落の田螺神社の前には おつぼ池(田螺池)があり、雨乞い伝説があるようです。
左巻きの金の田螺は龍の化身で、日照り続きの村に雨を降らせたとあります。
むかしの人は凶作だと命に関わる大問題だったので、山をバイクで走り回っていると、各地に雨乞いの伝説が多くあるのを確認でき、あらためてなに不自由なく生きられることに感謝したいと思います。
八大龍王をお祀する神社となります。
お社の前に小さな池があります。
毎年、春夏秋と3回はお参りしてます🙏今日も小鳥と水の流れる音の中お参り出来ました。
ありがとうございます🙏
雰囲気のある場所です道路挟んで由来の立て看板が有ります。
【田螺神社】(おつぼじんじゃ)鎮座地 愛知県豊田市和合町田螺池1御祭神 八大龍王森に囲まれた清々しい池と、その奥に鎮座する社。
そして更にその裏には、小高い丘の頂上に石の祠。
鹿も水のみに訪れる池は、雨乞いの龍神の化身の左巻きのタニシが棲むという。
<<境内由緒書きより>> 田螺池(おつぼいけ) 昔昔ここに大きな沼池があり沼には竜が棲んでいたという。
明徳三年二月八大龍王を祀り その名も田螺神社と名付け創建されたと伝えられている。
この池には多くの田螺が生殖していた。
ある時、村人が田螺を取りに沼池に入ったところ一天俄掻き曇り沼地は鳴動し篠を突くよな大雨が降ったそな、それ以来田螺神社は雨乞いの神として世に知られ日照り続きには村内は元より東は遠州、西は美濃方面からも借りに来られた由、霊験灼である。
今でも毎年八月十四日に祭典行事が執行われている。
最近は茶畑仕事の休憩場所でもあり、多くの参拝客も訪れている。
尚、和合里づくりの一環として整備保存に努めている。
お願い一、 田螺及び魚を取らないでください一、 伝統をみんなで守ろう田螺池和合区長<<現地案内板より>>田螺池の由来 その昔 和合集落へと告がれる杣沢川の水元とも云うべく山中に池があり そこには多くの田螺(たにし)が生殖し水草が生え、ある年 日照り続きで凶作の折村人が田螺を取りに池に入ったところ 俄(にわ)かに池の水が鳴り響き 空はまるで墨を流したごとくにかけ曇り 石おも流れんばかりの雨が降ったと云う後明徳三年(1392年)三月には八大龍王を祀り田螺神社が建てられた。
その後 雨乞いの神として遠州尾張三河方面にと その名が知れ渡り旱魃(かんばつ)の年ともなれば各地から雨乞いを願い田螺を借りに来る人々が後を絶たなかったと云う。
その霊験あらたかなる由来が認められ文久元年(1869年)三月には正一位龍王権現鎮護の位を授かった、田螺神社は大正三年(1914年)十月神殿を日向の神明神社境内に移転し その後昭和五十三年(1978年)四月 県営農地開拓事業が終わり、そして元の場所に神明神社より戻された。
牧場地へと開発され一見して残されたこの池も世に出たのである。
以後毎年八月十四日集落こぞっての田螺池の祭典奉行されいる。
<<和合むかしばなし>>山の上のおつぼ池には龍が棲むとも言われ、明徳3年、田螺神社に八代龍王が祀られた。
さて、この神社に棲む田螺は左巻き。
しかも大きく金色だったげな。
昔々、飢餓に飢えた里人が食料にと、おつぼ池から田螺をいくつも拾ったげな。
すると、たちまち黒雲が湧きものすごい雷雨で池があふれ出したげな。
そして、田螺は列を作り並んで池に戻ったそうな。
それ以来、田螺神社は雨乞いに霊験にあらたかと世に知られ、田螺を借りに遠くの村からも来たそうな。
借りる者は、池の下流の不動滝の太い丸太のとよから落ちる滝の清い水でみそぎをしてから借りたげな。
長く荒れていた不動滝のとよは再建され今も昔のように清々しい。
名前 |
田螺神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
美しい池と小さな神社。
神秘的な雰囲気が漂います。