駐車場も広くて停めやすいです。
平日に訪問しました。
静謐な雰囲気と歴史のある神社です。
境内の隅々まで清掃されていて、社務所で作業されていた神主様方も、大変感じの良い方々でした。
近くに行った際にはまた再訪したいです。
お世話になりました。
【御祭神】天児屋根命 天忍穂耳命伊邪那岐命 伊邪那美命健磐龍命 神倭磐余比古命 菅原道真公【祭礼日】一 月 一日 元旦祭五 月 二十日 市杵島神社春季例祭七 月 三十日 夏越祭九 月二十五日 森園天満宮例祭十 月 十七日 秋季例大祭十 月 二十日 市杵島神社秋季例祭十一月二十三日 新嘗祭・神宮大麻頒布始め祭十二月三十一日 除夜祭【由緒】当神社名が文献上に最初に登場するのは、正平十九年(1364)から同二十五年(1370)の間に本堂川(大上戸川)周辺の諸寺院で写経された大般若経の奥書に「肥前国彼杵荘大村富松社」と見え、南北朝の正平十九年には既に鎮座していた事が知られる。
十五世紀後半、大村領主大村純伊(すみこれ)の時代には大村家の守護神太良山大権現(多良岳山頂鎮座)の遙拝所すなわち「里宮」となるに至って、領主大村氏の篤い信仰を集めた。
しかし二代後の大村純忠の切支丹改宗に伴い天正二年(1574)領内社寺が焼討に遭う中、当神社もその被害を受けて灰燼に帰した。
荒廃すること三十年余、江戸時代に入ると領内より基督教が一掃され従来の神社仏閣の復興策が企られる中で慶長年間(1596〜1615)にその先頭を切ってもとの社地に再興された。
その再興に際して、荒廃した社地に残った老松に一団の霊火が飛来したことが再興の契機になったとの伝承から再建時から元禄年間(1688〜1704)までは「飛松宮」の社号を用いた。
江戸期には殊に藩主大村氏が藤原姓としてその系譜が重んじられたことから藤原一門の祖神奈良春日大社の御祭神「天児屋根命」を祀る社として「大村惣鎮守神」の称が与えられ藩主領民の篤い信仰を受けた。
寛永九年(1632)には佐賀呼子沖の加部島の田島神社より平野七右衛門が専従の神主として招聘されその後小島家が代々社家(神主家)を努めた。
明治の神社制度により西大村地区の村社となり大村部の一部をも含めた西大村の産土神社となった。
昭和六十三年に社殿を改築し、その折旧社殿両側に鎮座した森園天満宮と祖匠神社を新社殿に合殿として合祀した。
以前、近くに住んでいました。
10数年ぶりに参拝しましたが、こじんまりとした佇まいながらも風格ある神社であることを再発見。
大村家の居城、三城城の範囲内にあり、隣接する忠霊塔の南東側には広い曲輪を分断する空堀も見ることが出来ます。
紅葉も綺麗で御朱印もいただくことができました。
駐車場も広くて停めやすいです。
参道の階段を少し登り、左手に神社が有ります。
境内はとても綺麗にされていました。
手水舍もコロナの影響で水が流されていました。
他県からの参拝者が訪れたのをとても喜んでくださいました。
社務所で御朱印を頂きました。
御朱印を直書きで頂きました。
元気な女性の方が社務所にて親切丁寧に対応頂きました。
御朱印も達筆で素晴らしいです。
良い思い出にもなりました。
駐車場は無料です。
大村に来たら是非来るべき神社です。
名前 |
富松神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0957-52-2217 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
駅からも遠くなく周りに住宅もあるのに、別世界感があります。
とても雰囲気が良いです。
また、他県の神社をお詣りした際に、富松神社の名前が出ることがあります。
慕われていらっしゃるのだろうなと思いました。