地域の発展を願って、昭和の初め工場が建設されました...
「かってこの地域は雑木林でありましたが、地域の発展を願って、昭和の初め工場が建設されました。
この工場は太平洋戦争のとき爆撃にあい、すべてが灰燼に(かいじん)帰しました。
その後、朝鮮戦争のとき、米軍大和空軍基地が開設されました。
この石碑はそのとき基地正門に建設されたものであります。
と記載されています。
2021年10月に訪問しましたが、設置場所が50メートルほど東側に移動していました。
噴水のあるロータリーの島から北側に渡る横断歩道のすぐ横です。
東大和・桜が丘に敗戦まで日立航空のエンジン工場があり、その後米軍に接収されたとは、マンションや商業施設が立ち並ぶ今の風景からは想像できません。
流れゆく歴史を伝える貴重な碑。
もっと目立つところにあればいいなあ。
🦋鮮⚡︎💨♪🐖族👁u200d🗨歳から🌪アト🅿︎🦸u200d♂️k♉︎97🌸⚡︎保🧼?
米軍大和基地の碑。
中学生の頃まで基地跡(敷地内に建物)が残っていました。
悪い事とは知りながらも同級生とエアーガンを所持しフェンスを乗り越えて敷地内に入っては建物に侵入しエアーガンを撃って遊んだり爆竹を鳴らしたりしていました。
敷地内には、消防署跡、映画館跡、学校跡などがありました。
知らない学校の連中と出くわすと何故か撃ち合いなっていました。
正直、不法侵入です。
若気のいたりです。
もう時効です。
ごめんなさい。
この場所がかつて米軍基地だったことを伝える、地元の貴重な歴史的な史跡。
この場所は、戦前には軍需工場、戦後すぐに市立の学校になったものの、朝鮮戦争のころに国に強制収容されて米空軍の「大和空軍施設」になり、1973年に返還されました。
玉川上水の北口に出たときは、ちょっと道を渡ってロータリーの真ん中を覗いてみましょう。
名前 |
米軍大和基地の碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
玉川上水駅前広場にあります。