御霊還しが行われ祀神の居ない神社となった‼
竣功は1934年(昭和9年)12月、翌年10月大國魂神社神官により遷宮式が行われた。
コンクリート製社殿の設計は明治神宮宝物殿など設計した大江新太郎氏。
祭神は大山津見命・弥都波能売命であったが、都所有の宗教施設であることが問題視され、1967年に御霊遷しが行われ、現在は何も祀られていない。
なお社殿前の広場には拝殿があったが、東北地方太平洋沖地震で損壊し撤去となったと言う。
手水鉢左手には「殉難者之碑」があり、WW2末期の山口・村山両貯水池補強工事の際に事故で亡くなった6名の方々の名が刻されている。
付随するもの含め、歴史的存在として是非保存をお願い致したい。
狭山湖第二駐車場に車を止めさくっと参拝。
手水舎には貯まった水で清めは断念、無人の神社ですが雰囲気は良いですね。
玉湖神社は東京の水源として整備された多摩湖や狭山湖の水神を祀る神社として、当時の東京府水道局によって1934年に竣工しました。
しかし戦後になると政教分離の概念から都の管轄であることが問題視され、1967年にみたま遷しが執り行われて以来、神様のいない神社となっています。
2011年の東日本大震災では拝殿跡が被災して解体され、現在では神殿跡のみが残されています。
狭山富士へいく入口に位置します、静かな無人の神社です。
玉湖(たまこ)と呼んでしまいそうですが(たまのうみ)神社と呼びます。
よくSNSなどで心霊スポットと呼ばれてしまうようですが、ただのしょうもない噂ですね。
霊が出る場所だとバイアスがかかってしまえばどの場所だってその人にとっては心霊スポットになるでしょう。
朝や昼時に陽が射す時はとても神秘的な雰囲気でサイクリングやジョギングの途中の休憩スポットとしては最高でしょうね。
ただ神や霊を信じない私には霊よりも近くを飛び回る大きな蜂の方が霊より物理的に恐怖でした。
神社跡を挟んで道路の下にトロッコを通した線路跡のトンネルがひっそりと残っている。
貯水池を作る時に亡くなった方の慰霊碑もある。
サイクリング中、急に目に入ってきて思わず止まりました。
ここに神社があったの今まで気がつかなかったです。
鳥居があって狛犬に迎えていただきました。
周りの木も草も綺麗に処理されていて静かな佇まいでした。
家に帰ってから調べたら、ここにはもう神さまはいらっしゃらないとのこと。
でも、この静かでほっとできる空間は好きです。
狭山湖堤防の南端から青梅方面に向かって狭山湖南岸沿いを1km程進んだ所に鎮座されています。
多摩湖と狭山湖に挟まれた境内は、狭山丘陵の雑木林に囲まれていて、癒しの空間になりそうです。
たまのうみ神社と読みます、今は神様のいない神社です近くに駐車場はないです。
今まで気付かず素通りしてたけど、神社が有ったんですね。
儀式とか行われてそうな雰囲気の神社だなぁともう神様は居ないんですね。
それにしては重々しく厳格な空間ですね。
境内の左手に古い慰霊碑が二つあります。
一つには朝鮮の方の二人のお名前が彫られています。
遥か異国の地でお亡くなりになり、魂は故郷にお帰りになることが出来たのでしょうか。
ここを通る度に、魂が安らかであるようお祈りしています。
もう跡地です。
不思議な雰囲気があり、時折立ち寄ります。
玉湖(たまのうみ)神社村山上貯水池の北岸に、昭和10年から山の神―大山津見命(おおやまつみのみこと)水の神―弥都波能売命(みずはのめのみこと)が、祭神として祀られていたが、昭和42年政教分離のため、御霊還しが行われ祀神の居ない神社となった‼
多摩湖サイクリングロードを楽しんでいたときに発見!こんな所に、同じ名前の神社が!(たまのうみじんじゃ)と読むらしいです。
(*_*)嬉しい発見だぁ~。
訪れるハイカーもいました。
(^_^)ノ詳しいことはわかりません(^^;)
玉湖(たまのうみ)神社の裏手からちょっとした小山を登ると狭山富士に登れます。
誰が狭山富士の標識を建てたのか、標高151メートルと書かれています。
頂上からは、冬には富士山がよく見えます。
また、狭山湖も眼下に見下ろすことが出来ます。
人気がないのか、知らない人が多いのでしょうか、何度も登りましたが、独り占めで景色を眺めることができます。
玉湖(たまのうみ)神社の裏手からちょっとした小山を登ると狭山富士に登れます。
誰が狭山富士の標識を建てたのか、標高151メートルと書かれています。
頂上からは、冬には富士山がよく見えます。
また、狭山湖も眼下に見下ろすことが出来ます。
人気がないのか、知らない人が多いのでしょうか、何度も登りましたが、独り占めで景色を眺めることができます。
現在神様は居ない神社です。
建物だけ一部残っています。
御霊抜きをされた「神社の跡地」なのでご利益は望めませんが、歴史遺構としての価値はあります。
位置的に道路から隠れやすいのか、ここで脱糞していく輩が居たようです。
もう少し過去に敬意を払って欲しい物です。
今は鳥居と小さなお社が残っているだけです。
昔は社殿がありましたが、東日本大震災をきっかけに解体されたそうです。
境内は小さなお社以外ほとんど何もありません。
奥に入ると、遠目に多摩湖の湖水を眺めることができます。
春になると、少しだけ桜で華やぎます。
静かでこじんまりした神社。
飲料水や自販機等全然ありません。
特に境内や御神体はなくわざわざみに行くような感じではないようだけれど明るい時間お天気なら大通りそばの静けさが良いです。
都立狭山公園から多摩湖全周一周のウォーキングをしているとちょうど玉湖神社あたりが全周の約半分のちょっと手前。
都立狭山公園駐車場から整備されてきれいな多摩湖自動車道(歩行者自転車兼用)多摩湖全周コースに入ると玉湖神社あたりまでは大通りぞいですが、玉湖神社を過ぎて少しすると大通りから一本入るのでやや暗く人けがなくなります。
しかも玉湖神社を過ぎると湖畔の住宅街までの1時間半くらいは所々産廃のような荒んだ廃屋のようなが多いです。
なのでもしも多摩湖自転車道の多摩湖全周コースを歩くなら明るいうちに歩くほうがよく都立狭山公園駐車場は17:00夕方5時に閉まるのもあって春夏は3時前頃まで秋冬は2時ごろ前に玉湖神社を通過したいです。
多摩湖半周コースはメットライフドームの先から半周コースに入り橋を渡って多摩湖の反対側に出て割とすぐ貯水池鳥山あたりに出て産廃などのあるややくらい大通りから離れた荒んだ地域はあまり多くなく時間も2時間かからないくらいのようですね。
何れにしても明るい時間が絶対おすすめですが、午前中午後早めの明るい時間に鳥達のさえずりを楽しみながら、多摩湖全周を楽しむのにいい地区に玉湖神社はあります。
ちなみに私の初の多摩湖全周コース(多摩湖自転車道を歩く)、都立狭山公園の公園入り口(どんぐりの森 氷川神社近く)発13:44玉湖神社15:04着玉湖神社側の静かな谷で10分ほど足を伸ばし座った以外ほぼ休まず愛犬びすけと歩き続けても玉湖神社から2時間全周に約3時間半かかりました。
もしも頻繁に休憩をとりながら歩くなら都立狭山公園入り口を11:00くらいに出発し鹿島橋休憩所で40分お昼として後半がやや長いので玉湖神社には13:30には着き14:00には出たいですね。
休憩所でもっとゆっくりしたい方なら秋冬は10:00前には都立狭山公園入り口を出発するのが安全でベストでは?
「たまのうみじんじゃ」と読みます。
竣工は昭和9年(1934年)12月。
祭神は大山津見命(山の神)と弥都波能売命(みずはのめのみこと・水の神)。
設計者は大江新太郎技師で、明治神宮を造営した人。
名前 |
玉湖神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
裏の方に慰霊碑がある。
多摩湖(村山貯水池)建設の際の犠牲者の名前が裏側に刻まれている。
名前と本籍地が十数人書かれている。
そのうち朝鮮出身者は2名。