車庫の裏に小規模の空堀があるのみです。
かろうじて、10メートルほどの空堀が残っています。
案内板も民家の車庫に隠れています。
解説メモ置いて有ります。
丹党加治氏一族、中山家範の館があった場所です。
今は碑があるのみです。
中山家範は1590年、秀吉の小田原攻めにおいて、北条方で戦い八王子城に籠城し討ち死にしました。
駐車場が無いので、中山氏の菩提寺である智観寺に車を停めて合わせて見学しました。
埼玉の城跡の本に載っていたので行って見たら民家に挟まれたところに申し訳なさそうに堀跡と説明石碑がありました。
館跡は南に傾斜地にあり民家がいっぱいありました。
時の流れを感じました。
説明板があるのみ、回りは、民家があり説明板がないとわからない。
中山家範館跡で、石碑がと飯能市の案内板だけがあるのみでした。
中山家範は、北条氏康の子で八王子城主となった北条氏照に重臣として仕えていた方で、武蔵七党の一つ丹党の出で。
後の子孫は、徳川家康にとりたてられてます。
この中山家範館は小規模なものとなり、周囲に推定幅4~6m、深さ1~2mの堀をめぐらしていたそうで、その内堀は東西約60m、南北約90mで、外郭は東西約110m、南北約130mと推定されている。
館の北には勘解由山があり、館は丹生堀と加治堀の水源に挟まれていた。
また西に智観寺、北西に丹生社、北に鎮守12社が置かれた。
館の周辺には中山家に仕える武士の居宅や田畑があり、中山氏は日常は農業経営を行い、武芸の鍛錬に励み、戦闘にあたっては武士団の長として活躍した。
館跡は戦後、北堀及び西堀の一部が残されていたが、現在は宅地化が進み、空堀が北西部隅に残されるのみとなっている。
平成8年3月 埼玉県教育委員会 飯能市教育委員会」 とありました。
小規模な空堀が残されています。
名前 |
中山家範館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
民家の前に説明版と石碑がひっそりとあり、車庫の裏に小規模の空堀があるのみです。