名前 |
佐多稲子旧居跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
佐多 稲子 - 窪川 稲子(さた いねこ - くぼかわ いねこ、1904年(明治37年)6月1日 - 1998年(平成10年)10月12日)は、日本の小説家である。
職を転々としたのち、プロレタリア作家として出発し、日本共産党への入党と除名、窪川鶴次郎との離婚などを経て、戦後も長く活躍した。
左翼運動や夫婦関係の中での苦悩を描く自伝的な作品が多い。
ーーーーーーーー小学生の頃から利発な文学少女であったが、1歳の時に、結核で亡くなった母の治療費や父の放蕩などで家計はひっ迫。
叔父を頼って、父、祖母とともに長崎から上京、向島小梅町6番地(現在、隅田公園内) の家に身を寄せることになる。
牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計を助けるために、キャラメル工場で働かなければならず、結局、小学校は5年で中退してしまった。
その後、料亭、工場、書店などで働きながら、小説や短歌を投稿。
これらの経験が、後に「キャラメル工場から」という作品にまとめられ、出世作となった。
戦後、すぐに書かれた自叙伝ともいえる「私の東京地図」には、長く暮らした向島周辺のことが書かれている。
「私の地図の、江戸案内の版画的風景には、三囲神社も書かれている。
いつもひっそりとしていた神社だ。
淀んだどぶ池のそばに、閉めたままの障子の白さを見せていたのは其角の家だ、と子ども心にも知っていた」ーーーーーーーー戦前戦後を通じ、働く女性の立場に立って作品を発表し続けた作家・佐多稲子。
自らの女工時代の体験をもとにした処女作「キャラメル工場から」を発表して以来、戦前はプロレタリア作家として活躍。
戦後も旺盛な執筆活動をする一方、婦人民主クラブを創立し、女性の地位向上や平和運動に力を尽くした。
貧困と弾圧、そして絶望。
激動の昭和史を生き抜いた作家の言葉には千金の重みがある。