地元民に愛されてる神社だと思いました。
氷川神社(本太氷川神社) / / / .
公園側には小学生や体操する年配の方が居て、地元民に愛されてる神社だと思いました。
上を向き楽しそうな大黒さんと恵比寿さんには思わず笑ってしまいました。
ほっこりさせてもらいました。
創建年月日不詳なるも,少なくとも,創建は室町時代に遡ると思われる。
一の鳥居そばの灯籠の近くにも力石と思われる石が二基ある。
境内公園付近に「冰川神社之碑」と題ずる石碑あり。
明治二十八年一月健之銘。
題字揮毫 山形有朋。
撰文謹書 衆議院議員 野口褧。
石工 高木亀次郎。
碑文内容は,地元の有志が賛同者を集めて,境内に鳥居を奉納したことを記念する内容であった。
手水舎傍に伊勢神宮参宮記念碑。
下野三郎 謹書。
石工 高金龍。
庭師 尾崎清吉。
石碑に庭師としての名前を刻むのは珍しい。
裏面上部には「明治四十三年二月六日参宮同九日奏神楽同十七日歸郷於兹敷石建碑以爲紀念矣※」とある。
近隣に伊勢神宮参宮記念碑は数あれど,当時の旅行行程を刻んだものは少なく,それを理解する史料としての価値がある。
滞在三日,帰路八日(往路は帰路と同じと考えて八日?)。
どうやら明治末期の埼玉近郊の人々は,およそ三週間掛けて伊勢参りをした様である。
境内奥には埼玉県指定有形文化財の旧本殿がある。
市サイトに「外観のみ公開」とあったが,実際には立入りできる感じではなかった。
事前に調べた情報では,旧本殿は,厚板葺一間社流見世棚造。
江戸前期建築推定。
この推定根拠は,平成二年の修繕時に内部から発見された慶安三年銘の護摩札だろう。
「室町時代の本殿造を見本にして建築されたものだろう」と推測されているのて,実際に見てみたかった。
上記宮殿についても調べたので触れておきたい。
こちらも埼玉県指定有形文化財。
非公開。
宮殿とは,御神体を納める収納箱のこと。
市サイト掲載の写真を見るに,宮殿は,文安五年(1448年)六月健之銘とされる案(ツクエ;台座のこと。
)の上に乗っている。
宮殿自体は,宝徳三年(1451年)九月と屋根裏に墨書きすることから,その時に作られたものとされている。
また,二本の木鉾(キボウ;木製の矛のこと。
)も見つかっており,併せて文化財に指定されている。
「室町時代に作られた神社の中身はどんな感じ? 絵とか描けますか?」と質問されて,答えられる人は中々いないだろうが,これはその回答例を与えてくれる。
その意味で貴重。
※明治四十三年二月六日参宮。
同九日神楽を奏で、同十七日帰郷。
ここに於いて石を敷き,碑を建て,以て,紀念と為す。
(明治43年2月6日に伊勢神宮に到着。
同月9日に太々神楽を捧げ,同月17日に帰る。
ここに石を敷いて,石碑を立て,参宮を記念するものである。
)
静かな宮で新緑につつまれほっと癒されました。
桜が咲き始めました。
天気もよく穏やかな日です。
元勤務小学校の隣の神社です。
懐かしかったです。
本太に祀られる「上向福徳神」満面に笑みで天を仰ぐ恵比寿、大黒、参拝者は少なめですが、上辺の御利益より確実性があるパワースポット💮 40数年前、事務所開きに祈祷を依頼して、とても縁深い社他の神社では 一ノ鳥居、二ノ鳥居と番号で呼びますが、本太では三基の鳥居に名称があり、大通りから鎮守の杜、中央入口に構える昭和鳥居~本太小学校、二宮尊徳像を見守る明治鳥居~狛犬を従え神域の要を治める威厳ある室町鳥居💮ご神木の走り根に、栃の実か?こぼれ10㌢ほど伸び、◇◇感染の収束を予兆している新芽かも知れない?社務所の呼鈴に応対してくれた、気品ある老女に…初代の宮司さんですか、数10年前の面影をいっきに手繰る…お祝いにダチョウの卵を戴いた□□ですが。
現在二代目、娘さんが宮司を務めているそうです。
💮💮
何度か参拝に行くも、社務所が不在の率が高く、次こそは確実に御朱印を!と思い事前に電話をし、ご記帳して頂ける時間を確認の上での訪問。
参拝後社務所に行くと…まさかの不在。
他の参拝者の方もいたので改めて電話。
何とか書き手の方が出てきて下さり対応して頂ける事に。
···が、電話口の方とは別の方でどうも御朱印のみ集めて来てると勘違いされたのか…愚痴の嵐。
『こっちだって忙しいのよ!さぁ!!早く御朱印帳出して!』と焦らせ、カバーをつけたままの訪問者の方があたふたしていると『さっさとして💢』…う~ん(´・ω・`)無事御朱印は頂けましたが、事前に電話もして時間内に伺ったのにも関わらず、この対応。
別の方にも同じ対応されてるとしたら、少し有り難みも神様への感謝の参拝も水の泡。
もどかしい気持ちで御朱印帳受け取り、悶々とした気持ちで帰るのは必至。
集める為に伺った方と、ちゃんと理由をもって参拝に来ている人の違いは感じて対応して頂けたら気持ち良く受け取れると思うのですが、何より心の余裕を書き手の方には持ってほしいと願うばかりです。
上を向いた大黒さまと布袋さまがいて、縁起がいいです。
この神社の見どころは「上向き福徳神」でしょうね。
福の神は笑っているのが普通ですけど、さらに上を向いているなんて素晴らしいと思います。
ただ、大黒神は古代インドで破壊神とされていた神なんですけどね。
信じる者は救われるってとこかな?神社の口コミを読むと必ずと言っていいほど御朱印の話が出てますけど、御朱印は本来、写経した人がお寺にそのお経を納め、その証しとして渡されていたものらしいですね。
宮司が常駐してない神社が結構多いんだから、いっそのこと千社札を貼らせてくれた方が簡単かな?
浦和駅から徒歩10分、小学校の隣にあります。
三つの鳥居を指定された通りにくぐると、ご利益があるそうです。
わずかに紅葉していて、心安らぎます。
御朱印もいただきました。
本太氷川神社の由緒 本太氷川神社の創建年代は不詳ですが、元府址であったとも伝えられるといい、宝徳3 年(1451)に当地の地頭(たかはな)左衛門盛影が氷川大明神の大壇那として、御輿と鳥居を造立寄進したといい、古くから当地本太の鎮守社だったといいます。
弥栄三鳥居くぐり 当神社の見所は鳥居が三ヶ所有ることです。
最初分からなかったが後で気がついて、1の鳥居から2. の鳥居そして3の鳥居と順番に周りました。
ちよっと回りずらかったが、これで願いが叶うなら、有難いことです。
また、上向き不徳神も大変珍しいです。
因みに、旧本殿が裏側にあります。
入るには一声かけて扉を開けて頂く事ができます。
浦和に行ったので、散歩がてら行ってみました。
小学校のすぐ近く、赤い鳥居が目に入り、引き寄せられるように神社へ。
ご近所の方と思われるおばさまから「雨の日の神社も良いわよねぇ。
ずっとここにいたいくらい、この感じが良いのよね。
」と声を掛けられました。
おばさまと少し話して、地元の方々に愛されてる神社なんだなーと思いました。
神主さんが県外に行ってらっしゃるとのことで御朱印は頂けませんでしたが、次は晴れてる時に来たいです。
本太氷川神社は約1500年前から鎮座していると伝えられていますが創建年は不祥である。
別称として本太氷川神社、元府趾氷川神社とも呼ばれる。
鳥居扁額には本府趾と表記されている。
浦和駅東口から徒歩10分位 御朱印も頂けます。
1月14日に初めて本太氷川神社に参拝にいきました。
成人式だったために綺麗に着飾った着物姿の女性が参拝に来ていました。
境内はとても静かで落ち着いた雰囲気で、それらにマッチしていました。
広くはないが小さい子用の遊具が境内にある。
自転車ならあいている場所に置ける。
年末の一週間は旧御守りの納め場所が設置される。
ただし地面に穴を掘ってブルーシートを敷いたものだから風情も何もない。
雨が降ったらビショビショになるとおもう。
調神社のように自神社で売った旧御守りしか受け付けないほど狭量ではないのが救いだが最低料金の表示があるのは呆れる。
御朱印を書いて頂きたいと思い何回か足を運びましたがいつも不在です。
電話をしてもいつもFAXになってしまいます。
一体いつなら居るのでしょうか???
浦和駅から歩きで参拝しました。
訪れたのは3度目ですが、初めて、こちらの宮司樣より御朱印を受けました。
これから、氷川女體神社にも行くと告げたら、連絡を取って頂きました。
無資格社で小規模ながら鳥居が3カ所もありました。
境内は綺麗に整備されています。
御朱印も味わいのある書体でした。
元府趾氷川神社。
本太村鎮守。
旧村社。
数年前までは氷川女体神社の本務社だったようだけど今は違うのかな。
地域に結びついたいい雰囲気の神社です。
旧社殿がもっと気楽に見れるともっといいのですが。
お寺参りに出掛けたい。
綺麗にまとまった神社だと思います。
近所の主婦の方が子供たちを遊ばせたり、地域に密着した神社だなと実感させられます。
ただ、御朱印をお願いする時に、ここはいつも面倒な顔をされるので、そういうの嫌だなと思う方は、控えた方が良いかなと思います。
杓子の水を受ける所がコケがついていて、とても汚いです。
御朱印を頂く所の老婆が忙がしいアピールで、接客応対が悪かったです。
神様の場所なのに、人に対する感謝やおもてなしの心がない。
非常に残念です二度と行かないです。
名前 |
氷川神社(本太氷川神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-885-7412 |
住所 |
〒330-0052 埼玉県さいたま市浦和区本太4丁目3−33 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
地元の神社という感じ。
境内はしっかりと清掃がいきとどいていました。