名前 |
水取司遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
「水取司遺跡」と刻まれた石碑で、裏面を見ると、京都に数多くある昭和三年の三宅八安兵衛遺志碑の一つであることが分かります。
石碑の「水取司」は多分、東大寺に送る竹を責任を持って送る奈良時代頃の役人のことでしょう。
近くにある普賢寺の開基は良弁上人ですが、良弁は笠置寺や東大寺で初めて「お水取り」を執り行った僧ですし、京田辺では現在でも奈良の東大寺のお水取りに使う竹を切り出して送る儀式が今っています。
さて、東大寺側ではお水取りと呼ぶ儀式は、福井の小浜ではお水送りと呼ぶそうです。
これは、小浜を流れる遠敷川「おにゅうがわ」が、東大寺の若狭井と水脈がつながっているという伝説による儀式です。
この石碑の裏面に刻まれた三宅安兵衛は、その小浜の生まれですから、故郷若狭と関係する史跡への思い入れから、石碑を建立したのでしょうね。
ここは京都ですが、奈良文化の最北端にあたります。