名前 |
海音寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
5.0 |
山号は照鎮山、阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗寺院です。
大恩寺第9世照蓮社鎮誉賢阿樹公大和尚を開山とし、永禄5年(1562)創立と寺記にあります。
ただ、『広石村誌』によると永禄のころ野田城主菅沼織部正定盈の妻は長沢の松平上野介政忠の娘で永禄9年4月に亡くなり、当寺の開山鎮誉上人が菅沼家の請により大恩寺にて葬を営みました。
その折、菅沼家からの供養料等で買い求めておいた田畑を創建した海音寺に寄付し、ここに隠居したとされます。
当時は海雲寺と称していました。
その後、第3世釈誉祖順が前記経緯を家康へ申し出たところ、慶長6年(1601)2月伊奈備前守から寺領として五石を与える黒印状を頂いたとのことです。
そして、宝暦4年(1754)のころ寺号を海音寺と改めました。
境内の一隅に弘法堂があり、観音堂も兼ね酉国三十三所の観音様が祀ってあります。
堂の中の木片観世音菩薩は文政3年(1820)の御津山北麓の慮庵という所の開墾時、切り割れない巨木の根に観音様の形をした木片を発見したので掘りとり、寺に安置したとのことで有難い御像と評判になりました。