誕生寺前の聖地、歴史を感じる場所へ!
日扇聖人降誕之地(長松清風大徳誕生地)
中京区蛸薬師通室町西入南側の誕生寺前にあるのが本門佛立宗の開祖日扇聖人(長松清風)が生誕地であることを示す石碑になります。
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万葉歌碑を巡る歴史散策。
万葉歌碑(巻1-55)⑨
昔の街道沿いに移設したとのことです。
本物の歴史が息づく有料エリア。
東門
主殿等が復元された有料エリア(250円)になります。
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ここに山田寺あり、心安らぐひととき。
山田寺跡塔心礎
ここに山田寺があったとさ。
円墳と古墳群の魅力を体感。
天王古墳群
古墳群(円墳1+ほか周溝のみ確認3)。
民家横に佇む隠れ家。
加藤丹波守腹切石
民家の横に鎮座しています。
サイクリングの休憩にぴったり!
新坂
サイクリング🚴でたまに通ります。
倉敷城の歴史 深まる堅堀跡。
林野城跡(倉敷城跡)堅堀
倉敷城のパネルのある段が堅堀跡とのこと。
甲東中学校隣、便利なお店!
橋口五葉誕生地
甲東中学校の正門横にあります。
油日神社近くの神秘、油日館跡!
油日館跡
油日神社のすぐ近くにある油日館跡由来など案内板がないため詳細は不明です。
坂の上の京女、女坂の魅力。
女坂
坂の上に京女があって女の子がいっぱい歩いてるんで、通称「女坂」。
弥生土器と須恵器の魅力。
土ヶ市遺跡
弥生/古代遺跡現況:畑遺物概要:弥生土器 須恵器。
芝浦の歴史感じる新しい空間。
芝浦工業大学中学高等学校跡
かつて、この場所に芝浦工業大学中学高等学校が在りました。
今はマンションが建っているこの地には2017年まで芝浦工業大学中学高等学校がありました。
戦前の邸宅、歴史が息づく。
川原田家住宅
建替されることなく、元の状態を尊重しつつ保全されています。
花倉の乱の歴史を感じる供養塔。
旧普門寺跡(玄広恵探供養塔)
今川氏の後継者を巡り起きた「花倉の乱」で栴岳承芳(今川義元)と争い敗死した玄広恵探(今川良真)の供養塔。
天智天皇の漏刻、 時を刻む石の美。
漏刻
天智天皇が大津京内裏に造ったという漏刻(水時計)を石で復元したものです。
樺崎寺跡で歴史に触れる旅。
多宝塔跡
樺崎寺跡の浄土庭園の西側の中腹にある樺崎寺の多宝塔があった礎石があります。
薮の中の隠れ家、発見!
松本16号墳
入れそうな所を探して薮の中に入って見たら有りました。
移設された坂下宿の歴史を感じる。
東海道 坂下宿 解説板
鉄砲水のような洪水被害で壊滅し移設したそうです。
公園の記念碑巡りを楽しもう!
諫早大水害復興記念碑
公園内には沢山の記念碑などがありました〜
まりも国道で心躍る旅。
まりも国道碑
北見を終点とする国道240号線の釧路側の通称。
標高375mの特別な道へ。
洞頭城跡
標高375mの畑に道路😅標柱と説明板がちゃんとある😲ワオ館の跡らしいよん。
民家の脇にひっそり佇む。
松本12号墳
実際の場所より少しずれていました。
縄文中期の歴史に触れる旅。
泉遺跡
縄文中期 晩期遺跡。
イノシシ注意!
八塚山古墳
山菜取り出来るポイントがあるが、イノシシには要注意!
山を切り開いて作業道が出来てます。
館山城跡を感じる水田の跡。
鹿島堀跡(南側部分)
館山城跡の外堀の鹿島堀がこの辺に有りました 水田として跡が残っていましたが埋め立てられて住宅地になっています。
美しい空間で心満たす。
矢倉口遺跡
綺麗でした。
アプトの道で心が躍る坂本宿。
坂本宿永井脇本陣跡
◆2022年7月8日(金)に「アプトの道」探訪の帰り道に坂本宿を訪れた。
豊受稲荷の縁結びイチョウで幸せを!
結びの銀杏
豊受稲荷神社の鳥居脇にある縁結びのイチョウ。
アスパラ発祥の地で味わう新鮮体験!
北海道庁立岩内高等女学校跡記念碑
アスパラガス発祥の地と同じ場所にあります。
新名神の鳥居が目印!
妙見街道 妙見山石鳥居
新名神高速道路茨木千提寺IC近くの狭い道路に突然現れる立派な鳥居。
鴨方旧城近くの隠れ家!
備中鴨山城主 細川通董の墓
鴨方の旧城の後です!
民家と一体化した不思議空間。
北沢七つ井戸
何だか、民家と一体化していました(笑)
青面金剛尊の道標、文化三年の歴史。
青面金剛塔・水戸街道道標
文化三年丙寅(1806年) 青面金剛尊 大きな庚申塔で道標。
正面「青面金剛尊/左 水戸街道/講中」右「文化三年丙寅/十月如意日/右 印西道」左「総州葛飾郡馬橋村」裏(無し)青面金剛供養塔。
木下順庵邸跡を訪ねて、歴史を感じるひととき。
木下順庵邸址
占出山町会所の脇に木下順庵邸跡を示す石碑のみがあります。
湯倉神社の御神木に癒される。
湯倉神社のイチイ
湯倉神社の御神木。
荒砥史談会が選んだ文化財。
八王子の薬師堂
荒砥史談会指定の文化財です。
市谷亀岡八幡宮の歴史を感じる。
市谷亀岡八幡宮裏参道の陸軍境界標石
・陸軍用地 ✕2・陸軍省所轄 ✕1の異なる文字が掘られた標柱が合計3基あります。
戦前は陸軍士官学校があり、その境界となっていた場所です。
19世紀の長屋門で、歴史を感じる旅へ。
奥平家長屋門
江戸時代末期(19世紀初頭)に建てられた長屋門だそうです。
奥平謙輔の生家ではありませんでした。
大荒比古神社のお参り後に!
大人塚(鬼塚)
大荒比古神社にお参りしても立ち寄らない方が多いと思います。
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