三木城跡を訪れ、歴史を感じる。
這田村法界寺山ノ上付城跡の特徴
這田村法界寺山ノ上付城は国指定史跡に指定されています。
織田信忠の軍勢が築いた歴史ある付城の一つです。
30分ほどで周囲を見渡せる規模感があります。
法界寺さんの駐車場に停めさせて頂いて登城しました。方形の主郭と副郭、段郭があり駐屯していたことがイメージ出来ます。また、主郭虎口の馬出は珍しい遺構で必見です。
法界寺山ノ上付城跡は三木城跡及び付城跡として国の史跡に指定されている。羽柴秀吉が三木城の別所長治の籠る三木城を攻めたいわゆる三木合戦における秀吉側の陣城のひとつである。陣城群の中では最も技巧的であると言われている。法界寺を目指して行くと案内板が出ている。技巧的とはいえ急造された陣城なのでつくりは単純である。比高40m程度の登り坂に沿って多くの帯曲輪が造成されており、山頂部に土塁で囲まれた主郭、副郭が並んでいる。主郭の虎口北側は堀と土塁で馬出状に構築されている。法界寺山ノ上付城は宮部継潤の陣城であったと伝わる。周辺の陣城群とセットでの見学がおすすめである。
法界寺の正面から案内が出ているので、迷うことはないはずです。主郭と副郭の間の堀や、郭を囲む土塁は見応えがありました。
天正7年(1579)4月に織田信忠の軍勢が築いた6箇所の付城の1つ。
法界寺の南側の小高い丘陵の上に築かれた付城(つきしろ:戦のために臨時に築かれた城や砦)です。国指定史跡の一つ。天正年間の三木合戦において、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が別所長治の居城三木城を兵糧攻めにて攻略するために築いた30余りの付城の一つです。三木城への兵糧を運び込むルートを遮断するため、この付城を起点にして、宿原城までの約5.5キロメートルにわたり点在する複数の付城間に多重土塁を廻らせたと云われています。これにより、三木城の南側に包囲網を敷くことで、毛利軍が明石からの物資を運び込むルートを遮断しました。国指定史跡と云うことで、遺構の保存状態が良くて、各所に案内板が設置されています。また、この付城からは、南東方向に伸びる土塁跡が確認できます。(朝日ヶ丘土塁)
這田村法界寺山ノ上付城は法界寺の南背後にある標高80m程の山に築かれており、現在は「三木城跡及び付城跡・土塁」として国指定史跡となっています。山道ですのでしっかりとした靴で登ってみてください。緩やかな登りです。
全体的に30分ほどで全体を見渡せる規模。法界寺から案内板があるので登城口まで迷うことなくスムースに行ける。登城口に説明板と縄張図入りのパンフレットが置いてある、ありがたいね。杖も置いてくれていたが杖を使うほどハードな登りではない。少し登ると副郭があり、虎口と土塁が目視で確認できる。さらに進むと主郭部。広く平らな曲輪で周囲の土塁、虎口、土橋、横堀がはっきりと確認できる。奥にある土塁群は未踏。非常にコンパクトで遺構も盛り沢山、かつ随所に遺構の説明書きもあるのでビギナーの方でもわかりやすいように工夫されているのが良いね。オススメの城跡である。是非登城したまえ。ちなみに道は舗装されていないので装備はしっかりとしなさいよ。
三木城攻略の際に造られた付城の一つで、配置さえた武将は秀吉の重臣である宮部善祥坊・出口五郎左衛門・石川清助と三木城内の説明にはあるのですが、現地の説明板と微妙に人物名が違うようです。三木ホースランドパーク「エオの森」敷地内と被っており、かなり広域に主郭・副郭を始めとする主要施設・土塁などの跡を見ることが出来ます。自分はホースランドパークの駐車場から森林馬道経由で行きましたが、城の外郭を巡りながら歩く本来の進入路を考えると法界寺の裏手から入場するのが説明板もありお勧めです。
| 名前 |
這田村法界寺山ノ上付城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0794-82-4569 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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織田信忠の軍勢が築いた6箇所の付城の1つ朝日ヶ丘土塁から訪問したが主郭や副郭はよく整備はされているおり土塁や横堀が確認できた法界寺南側にある段状の平坦地群は藪や樹木が多くわかりにくい状態だった。