狛犬三対が見守る、ひっそり佇む永倉神社。
永倉神社の特徴
正一位稲荷神社が祭られており、稲荷信仰が生きています。
狛犬が三対もあり、迫力のある存在感が魅力です。
ひっそりと佇む静かな神社で、落ち着いた雰囲気を感じられます。
駐車場は無い。前に置かせてもらう。永倉神社、の案内板。文徳帝の斉衡二年(855)、官社に列し、延喜式神名帳(927)に、白川郡七社の一つとして載る。明治二年(1869)、山火事の類焼に遭い、社殿及び宝物什器等消失し、往時の風格は失われた。右に、慶應元年(1865)九月立之、刻の大きな石燈籠一基。左に、文久三癸亥年(1863)秋九月立石、刻の、大きな石燈籠一基。小さな一の石鳥居。小ぶりな、狛犬阿吽像。右側阿形像は、左前脚で玉をおさえ、大きな獅子鼻、口の上の牙が、細かく刻まれ、あごや脚の毛が細かく刻まれる。尾は、両脇に別れ、チカラコブが全身をおおう。四肢の拳 、指、が太く、大きい。左側吽形像は、太い前脚で、子狛犬をおさえ、チカラコブが全身をおおい、いかつい。すじ毛が複雑にからみあう。昭和十七年(1942)三月 石工野田豊吉、と刻まれている。野田豊吉は、野田平業の本名で、一番初期に刻んだ名だが、年代と齟齬がある。豊吉で刻んでおいた狛犬阿吽像を、持ってきて、昭和十七年三月、と刻んだものか?古い作品と思う。昭和十七年(1942)十二月吉日、刻の、伊勢参宮記念、の変わった石燈籠一対。参道は奧につづく。石段一段。狛犬阿吽像。右側吽形像は、びっくりしたような、大きな出目、耳が立ち上がってから伏せる。その下に、巻き毛が四つ縦につづき、すじ毛が長く流れる。太い左前脚の下に、子狛犬をおさえ、伏せ耳のうしろに、大きな巻き毛が四つ、うず高い。尾は、鳥の尾のように立尾で、両脇が巻き毛になる。全体的に太っているように見える。左側阿形像は、出目を、上に向け、口を開け、伏せ耳の下に、巻き毛が四つ、すじ毛が流れる。大きな右前脚で玉をおさえ、指が長い。尾は、鳥の尾のようで、立尾で、両脇が大きな巻き毛になる。鴟尾のようだ。昭和三十六年(1961)二月吉日 坂上清勝、と刻まれている(初めて見る)。大田原市荻野目の諏訪神社の狛犬の表情に似ている。石燈籠一対。右に曲がると、狛狐一対。手水盥があり、石段を十段上ると、昭和三十一年(1956)九月吉日、刻の標柱がある。昭和五十六年(1981)九月十五日建之、刻の、小さな石鳥居があり、くぐると、正一位稲荷神社、の社額のある、覆屋の中に、稲荷神社、の気の祠が一宇ある。その左側に、石の祠二宇。元の参道に戻ると、昭和十五年(1940)旧九月十六日、刻の、永倉神社、の大きな石碑。狛犬像がある。右側吽形像は、伏せ耳の下に、大きな巻き毛三つ、すじ毛が流れ、たくましい太い左前脚で玉をおさえ、尾は、両脇に別れる。少し猫背の造形である。四肢の指は、太く、長く、爪は鋭い。迫力がある。左側吽形像は、大きな目、獅子鼻で、太くたくましい右前脚で、二匹の子狛犬をおさえ、伏せ耳の下の大きな巻き毛、長く流れるすじ毛、少し猫背の造形と、迫力がある。どちらも吽形像に思える。左側の吽形像の左脇が、深い井戸のようになっていて、気をつけないと危ない。大正四年(1915)十二月 伊勢参拝記念。得心のいった時に刻んだ、彫刻師 白河之住 野田平業作、と刻まれている。石段が十一段。右側に、昭和五十二年(1977)九月十六日 石工今井癸、刻の、永倉神社 熊野神社 石段改修落成奉告記念、刻の、石碑。石の祠一宇。二の石鳥居があり、石垣になっていて、石段を三十六段上ると、横に大変長い、拝殿に至る。太い杉と竹林におおわれている。永倉神社は知っていたが、狛犬が三組あり、一の石鳥居 、二の石鳥居のある、神格の高い、由緒ある古社であることは、知らなかった。
正一位稲荷神社も祭られてます。
狛犬指数3.8。三対の狛犬が鎮座。鳥居近くに昭和17年野田豊吉作の狛犬有り。阿形は玉取り、吽形は子取り。二対目は昭和36年坂上清勝作の狛犬。阿吽が逆。三対目は野田平業作の狛犬。吽吽です。
狛犬が3対もあります。
狛犬が、狛犬の子供を虐待しているように見えます💦 怖っ😨
三対の狛犬がある。
ひっそりと佇む神社です。
| 名前 |
永倉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 10:00~16:00 |
| HP |
https://www.vill.nishigo.fukushima.jp/soshiki/shogaigakushuka/rekishi_bunkazai/2006.html |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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永倉神社(ながくらじんじゃ)。福島県西白河郡西郷村大字長坂字長坂。式内社(小)、旧郷社。【祭神】伊弉諾命 (合祀)熊野三神資料によると、創祀年代は不詳。式内社・永倉神社に比定される古社。文徳実録にその名が見える。明治2年に山火事で社殿等を消失してしまったらしい。その頃までは、神明宮と呼ばれていたが、明治5年に、永倉神社と戻したという。鎮座地の長坂は、永倉のことで、長畔の転化らしいが、「倉(クラ)」から「坂(サカ)」に、どのようにかわるのかわからないが、磐座(イワクラ)、磐境(イワサカ)となにか関連するのだろうか。相殿に、熊野三社と八雲神社。とあります。