幕末の息吹を感じる、練兵館跡。
神道無念流 練兵館跡の特徴
神道無念流 練兵館跡は、幕末の歴史に名を刻む貴重な道場の名残です。
靖国神社境内に静かに佇む、石碑と案内板のみのシンプルな遺構です。
桂小五郎や高杉晋作が通ったこの場所には、歴史的な重みがあります。
神道無念流 練兵館跡仕事を終えて、会社から九段界隈を散歩して靖国神社に来たところ、南門を入った左側に練兵館跡の石碑を偶然見つけました。天保9年の火事で消失した俎(まないた)橋練兵館が当地に再建され、以後約30年間隆盛を誇りました。練兵館には、高杉晋作、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は師範代もつとめています。また、伊藤俊輔も出入りしたと言われます。北辰一刀流の玄武館、鏡心明智流の志学館とともに、幕末三道場といわれています、以上、当地の史跡案内の記述より。(2021年12月29日訪問)
「千代田区:神道無念流 練兵館跡」2024年8月に訪問しました。ホームページを調べてみると『靖國神社が建てられる前、ここには剣術の道場「練兵館」があったそうです。木戸孝允(きどたかよし)ら幕末の志士たちが稽古に励んだ姿を偲ばせます。』との記載がありました。ところで「神道無念流」は福井兵右衛門嘉平によって創始されたそうで、剣術だけでなく「立居合」という居合術も含むとのこと。しかし、実際に立居合も学んだ者は極めて少なかったそうで、免許皆伝に至った者でも大部分は剣術のみを修めた者だったそうです。剣術の特徴ですが、「力の剣法」と言われ、真を打つ渾身の一撃を大事にしたそうです。竹刀を頭上に大きく振り上げて力強い打突を繰り出す感じです。そのため胴技に対して苦手であったらしく、名だたる剣士が同を狙った技で敗北しています。なお、この近くには三波石が置いてあります。群馬県藤岡市鬼石にある天然記念物の銘石「三波石峡」で採れる岩石です。石英が白く浮き出た美しさが特徴です。江戸時代から名石として庭石として使われてきました。
幕末江戸三大道場の一つと云われる、斎藤弥九郎が開いた練兵館があった場所です。多くの幕末の志士が門下生として学んだ場所でもあります。息子の新太郎の廻国修行の縁で、長州藩、大村藩から多くの藩士が門人に名を連ねています。長州藩の桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、伊藤博文、品川弥二郎、大村藩の渡辺昇です。とくに、桂小五郎(後の木戸孝允)、近代剣道の発展に尽力した大村藩の渡辺昇が塾頭を務めたことで有名です。渡辺昇は、あの「鞍馬天狗」のモデルとも云われる剣客です。明治維新後は、東京招魂社創建によりこの地を立ち退かざるを得なくなり、また、文明開化の影響もあり道場も廃れていったようです。千葉周作の玄武館以上に人材を輩出した道場ですが、あまり知られておらず、九段上に百畳敷きの道場と三十畳敷きの寄宿所があったと伝わりますが、残るはこの石碑のみです。
かつてここにあった、錬兵館という道場の跡地です。
とても有名な幕末江戸三代道場の一つ、神道無念流 練兵館跡です。ここで高杉晋作や桂小五郎、品川弥二郎などが剣を振っていたと思うと感慨深いです。せっかくなので正面から写真に収めたかったのですが逆光がキツかった。
いつも気が付かずに通り過ぎてました。
桂小五郎だけでなく高杉晋作や品川弥一郎もここの門下だったんですね。
明治の元老たちが若かりし頃ここで腕を磨いていたと思うと感無量です。
江戸三大道場の一神道無念流 斎藤弥九郎の道場跡。
| 名前 |
神道無念流 練兵館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3261-8326 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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