日本のモン・サン・ミシェル、岩井山城探訪。
勧農城跡の特徴
規模は小さいが楽しめる冒険スポットです。
足利長尾氏が本城を移した歴史を感じられます。
日本のモン・サン・ミシェルとも称される岩井山城です。
真夏の山城は藪や蚊が手ぐすね引いて待ち構えているわ、蒸し蒸しするわ、眺めも期待出来ないわetc…で、メッチャ気が進まなかったが、せっかく近くまで来たチャンスをみすみす棒に振るのもアホらしいと、及び腰で探訪…。赤城神社〜乳房地蔵尊〜岩井山〜赤城神社の順で探訪し、主郭、堀切、切り岸などで足を止めて、はるか悠久の昔に思いを巡らせる…。きっちりした散策路が整備されていて、蚊に刺されて痒い思いをすることもなかったので、ホッと胸をなでおろす。説明板、🅿️あり。2025/8/1
入口に説明板🪧主郭には土塁♪切岸♪もシッカリしてる夏場は草🌿多そう😅
サクッと登城、規模は小さい。
2022/11/12背後の足利市内から突き出た馬出しのような小山にあり、川と沼地に囲まれた要害地だったのだろう。城跡は切岸により削平された曲輪と僅かに土塁が認められる。
⛩️神社の裏の頂上あたりは色々と冒険できそうな小山で楽しかったです。
別名が岩井山城の表示がありますが、私とすると勧農城ですね。足利長尾氏の居住の城跡のため立地はいいです。しかし足利城に移ったので、守りには問題があったのですかね。逃げるところもなさそうだし、囲まれたら持久戦ですね。
立地から城として申し分のない場所です。ただし、その立地から縄張りは技巧的な部分は少ない城跡です。もともと渡良瀬川の水量により防御能力に差がでるところですから渇水期は裸城同然と言わざるをえません。安定しない場所よりも山城がという流れも無理のないところといえます。
足利長尾氏が足利城を移るまでの本城。縄張り図を描きに行きました。
昔散歩で時々歩いたところです。草木が繁茂し、いかにも中世の砦跡らしい雰囲気でした。北側の橋の建設工事にともない、縄文時代の大きな集落が徹底的に破壊されました。工事現場に散乱する膨大な土器(主体は堀之内1・2式、前期以降の各式あり)や石器(巨大な安山岩製の石皿は特筆)を必死でかき集めた記憶があります(現場の労務者に酷く怒られました)。この頃、市内の古墳もたくさん壊され、これでいいのかなーと嘆いたものです。山辺の切り通しに群集墳(たぶん6世紀頃)の石室が縦切りにされており、いろいろな金属製品(直刀、鉄鏃、金環など)が露出していました。房州に引っ越してからご無沙汰ですが、今はどうなってるのかな。
| 名前 |
勧農城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0284-20-2230 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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足利市街を背に、突出する様に屈曲した渡良瀬川が形作る河岸半島にポツンと盛り上がった小さなお山(岩井山)。麓の河川敷一帯は野球場・テニスコート・ウォーターパーク・サイクリングコース等々が並ぶ運動公園になっている。石段を登った所に我がグンマーの総本社から勧請したと思われる赤城神社が鎮座。1466年、関東管領山内上杉憲実の家宰を務めた鎌倉長尾実景の子・景人が大君苗字の地である足利庄へ入部、此処岩井山を拠点とし足利長尾氏の祖となった。小規模ではあるが、渡良瀬川を挟んで南西方面から足利庄へ侵入する仮想敵を防御するにはもってこいの立地に見える。