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堀川丸太町の交差点を東に行った北側にある日商岩井丸太町高陽院ハイツの入口横の生垣にあるのが「高陽院邸宅跡」の説明書きのプレートになります。この地には、桓武天皇の第7皇子である賀陽親王(かやしんのう)の邸宅があった。その後、鎌倉時代まで公卿、天皇の里内裏として機能していた場所になります。平安時代初期、賀陽親王の邸宅があった。その後、幾人かの所有者を経て、平安時代中期、藤原道長の息子である関白 藤原頼通がこの地を気に入り寝殿造りの屋敷を造営した。「高陽院(かやのいん)」「賀陽院(かやいん)」とも表記される。敷地は、約250m四方にも及ぶ広大なものであった。また、発掘調査で約140メートルという巨大な池の跡が発見されているので、屋敷の豪華絢爛さが裏付けられている。