元伊勢で感じる歴史の息吹。
天神神社(伊久良河宮跡)の特徴
・伊勢神宮に遷宮される前の元伊勢の一つとして知られています。
・伊久良河宮跡の御船代石がお祭りされており歴史を感じられます。
・住宅地の中にあり駐車場は無く居倉公民館の駐車場利用が便利です。
元伊勢めぐりで参拝しました。カーナビだと近所の天神神社に導かれる可能性が有るので注意です。道路沿いにある鳥居を抜け参道を歩みますと豊かで清らかな水が流れる水路があり俗世との分離といった感じです。そこからの参道は玉砂利が敷かれていますが両脇に人が歩ける参道が有り、そちらを歩みました。拝殿から本殿はつながっています。結構綺麗な板の間で祭事がよく執り行われているのかもしれません。本殿は内削ぎの千木に5本の鰹木が飾られた流造なのですが、かなり立派な彫刻が施されており丹波丹後に多いので関連性を感じました。御祭神は造化三神の二柱、高皇産霊尊と神産巣日神、応神天皇。他にも摂社があります。なにより本殿を守護するかのように伸びているタブの木で、さらに奥にある宮跡がチカラを感じさせます。
伊久良河宮跡小さな神社で駐車場はありませんが、道路を挟んで斜め向かいにある居倉公民館に車を停めることが出来ます。岐阜県唯一の元伊勢、是非行ってみてください。伊勢神宮にまつられている天照大神は、今から2千年近くも前、瑞穂市居倉(いくら)の伊久良河宮に4年間鎮座していました。このことは、日本最古の正史『日本書記』や『倭姫命(やまとひめのみこと)世紀』等に次のように書かれています。「垂仁天皇の時、倭姫命に命ぜられ、伊賀、近江を経て、美濃の居倉に四年間留まられ、伊勢に遷宮された」垂仁天皇から命を受けた娘の倭姫命が天照大神をまつる地を探し、この地にたどり着いたというのです。このように、現在の伊勢神宮に遷宮する以前に、一時的にせよまつられたという伝承を持つ場所を「元伊勢(もといせ)」と呼びます。伊久良河宮跡はそのひとつなのです。
住宅地の中にあり駐車スペースは、有りません。綺麗に整っていて気持ち良い聖域でした。
伊勢神宮に遷宮されるまでに転々とした元伊勢のうちの一つ。境内にある御船代石は天照大御神の御輿を置く場所で禁足地と伝わる。
元伊勢巡りしています🤗伊久良河宮跡の御船代石がお祭りされていました近くを流れる川も綺麗😍お社の社寺彫刻も良かったです😌
小さいけど、入口の門や参道などなど趣きのある神社です。
今から2,000年以上前倭姫命の足跡がここに残ります。第10代崇神天皇の時代まで、皇祖神である天照大御神は、皇居内に祀られていました。その状態を畏怖した崇神天皇は、皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託しました。豊鋤入姫命は、天照大御神の理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、鎮座地を変えていきます。その後、その役目は第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命に引き継がれます。倭姫命(やまとひめのみこと)は、第11代垂仁天皇の第四皇女で、母は皇后の日葉酢媛命。母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の、父は丹波道主王(たんばのみちぬしのみこと)で、美濃開拓の祖とされ、今も、伊奈波神社の主祀神として祀られています。母は丹波之河上之麻須郎女(かわかみますのいらつめ)で、伊奈波神社の北方の方角にある方県津神社に祀られています。倭姫命(やまとひめのみこと)は、この美濃の地に非常に由縁が深い方です。天照大神の旅は豊鋤入姫命が杖役となり倭国→摂津国→倭国→但波国→倭国→紀伊国→→吉備国→倭国→その後、倭姫命が杖役となり→倭国→伊賀国→淡海国→美濃国→尾張国→伊勢国その長い旅は、現在地に遷座するまで、およそ90年という歳月を要しました。天照大神を祀るふさわしい場所を探す旅の途中この場所に、天照大神が鎮座し、倭姫命もこの地で4年間過ごしたとされます。その後、天照大神は尾張一宮にある中島宮を目指し、長良川~木曽川を下っていきました。その際、立ち寄った場所も同様に元伊勢と呼ばれています。名木林神社宇波刀神社神明神社豊受神社なども元伊勢として名を連ねられます。この社には、元伊勢の証である御船代石(みふなしろいし)が残り、天照大神の寄代である、八咫鏡(やたのかがみ)が鎮座していた姿が目に浮かびます。2つの御船代石(みふなしろいし)はフットプリントのようにも見え、まさに2000年前の足跡がここに残ります。
道も狭く、神社そのものは普通。隣に、富有柿の母木がある。
柿の産地にある神社です。
| 名前 |
天神神社(伊久良河宮跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0585-55-2500 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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元伊勢はやっぱ違う〜!この場所に4年も滞在されたとは。その頃の景色や事情はどうだったのだろう?