蓮如上人袈裟懸の松、歴史を感じる。
蓮如上人袈裟懸けの松の特徴
大坂に蓮如上人が建立した坊舎跡、歴史的な重要スポットです。
袈裟を掛けた松の切り株が、往時を物語る貴重な名木です。
かつて本願寺が繁盛した大阪城の地で歴史を感じることができます。
蓮如上人が大坂に坊舎を建てた。
ここに、蓮如が袈裟を掛けたと言う伝説がある。松は本願寺にあり、寺院の建立には蓮如が関わっている。浪花百景の「第二十九景 森の宮蓮如松」には、枯れてしまった松が描かれている。
奥のローソンとトイレは2月3日まで工事中でぇーす。
天満橋から、大阪城ウォーキング。石山本願寺跡推定地を過ぎて、蓮如上人袈裟懸けの松へ、石碑の横を通らしていただいて松の近くへ気のせいかも知れませんが大阪城で一番パワーを感じる場所のような気がします。自然の中にパワーを感じるのかも知れません。お参りさせていただき、グダグダ坂をゆっくりとくだってOBPの方へ大阪城は森之宮から来たら階段が多いので坂が無い気がしてたけど坂は中央大通りが登り坂ですね。もう少ししたら観光客でいっぱいになるんかなぁ。
本願寺第8代蓮如上人は明応5年9月此の地を選んで一宇の坊舎を建立し明応8年2月迄居住する、天文元年8月第10代証如上人は山科より本願寺を此の地に移し大阪石山本願寺と称す、ここに本願寺は大いに繁昌し道俗男女群集した、永禄.~年(元亀元年)織田信長本願寺に難題を申し入れ遂に石山合戦の発端をなす11年間攻防の末天正8年3月勅によって和議成る、天正11年豊臣秀吉大阪城を築く後時代は代われども蓮如上人袈裟懸の松の根のみが残りわずかに往昔を偲ぶ。
梅林の上辺り、この辺りに本願寺が建立されていたという場所の跡地がひっそりと存在します。蓮如上人が袈裟をかけたと言われる松の木の根っこが残っているとされています。しかしながら、秀吉により盛り土されているため、露出している松の木の根っこは別物だとの話しだそうです…🌲南無阿弥陀と彫られた立派な石碑が立っています…🙏
豊臣秀吉が大坂城を築く以前の戦国時代、浄土真宗の本願寺第八世蓮如上人は、現在の大阪城の地に坊社をつくり(大坂御坊)、今は切り株だけになっているここの松に袈裟をかけ、宗派の繁栄を祈ったといわれる。切り株は徳川幕府が再築した大坂城の地表にあることから、これはあくまで伝説に過ぎない、と考えられるが、西側に「南無阿弥陀仏」の石柱が建てられるなど、大坂(石山)本願寺時代の記憶をとどめる史跡として保護されている。-----------------------------------------------------------------------------------------------本願寺第八代蓮如上人は明応五年九月、この地を選んで一宇の坊舎を建立し、明応八年まで居住す。天文元年八月第十代証如上人は山科より本願寺をこの地に移し大坂(石山)本願寺と称す。ここに本願寺は大いに繁昌し道俗男女群集した。永禄十三年(元亀元年)、織田信長本願寺に難題を申し入れ遂に石山合戦の発端をなす。而して十一年間攻防の末、天正八年三月、勅によって和議なる。天正十一年、豊臣秀吉大坂城を築く。のち時代は変われども、蓮如上人袈裟懸けの松の根のみが残り僅かに往昔を偲ぶ。本願寺津村別院誌(抜粋)------------------------------------------------------------------------------------------------------
| 名前 |
蓮如上人袈裟懸けの松 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
06-6755-4146 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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浄土真宗中興の祖、蓮如。信長の激しい石山本願寺攻めに最後まで耐えた浄土真宗門徒たち。最後は明け渡しとなったが、全く不撓不屈の人々だった。その指導者蓮如が袈裟を懸けたと言われる松の根元が時を超えて未だある。