春の桜映える元安橋で、平和を願う灯籠流しを。
元安橋の特徴
春には元安川沿いの桜が美しい、印象的な場所です。
原爆ドーム近くに位置し、素晴らしい景色を楽しめます。
水面に映る原爆ドームが堪能できる絶好のスポットです。
2024年5月の旅行で訪問。5月3日は「ひろしまフラワーフェスティバル」のイベントで水上鯉のぼりパレードをみることができました。多くの人出で賑わっていました。平和でなにより。夜は寂しい感じです。被爆後の惨状を想像するだけで悲しくなります。
★ 毎年8/6夜・犠牲者を弔う灯籠流し有り★1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、原子爆弾の爆風により笠石が左右逆方向にズレ、欄干も元安川に落下したが橋自体は崩壊を免れた。その後、爆心地を特定する重要な資料となった貴重な橋。戦後も長く使用され、1992年に架け替えられた、日本百名橋の1つ。被爆当日に被爆者がこの橋付近で特に多く亡くなり、毎年8月6日夜に犠牲者を弔う灯籠流しが行われているそうです。
中国山地からの三角州で構成された広島市中心部で元安川に架かる道路橋梁。「元安川」の名称は「元安橋」からという。橋としての歴史は古く、安土桃山時代の毛利輝元による広島城築城、それに伴い城下町整備の際掛けられたと伝わる。その名称は毛利元康(輝元の叔父、毛利元就の八男)の名から。毛利の転封後、福島正則の時代に西国街道(山陽道)を城下町に引き込み、この橋が西国街道筋になる。これは昭和戦後まで続き国道2号筋の橋梁とされた。1920年、これまでの木造橋からゲルバー鋼桁橋に架け替えられる。1945年、アメリカ軍による原爆投下では爆心地より130mの位という近距離であっても、倒壊しなかった。更にその損傷状況から原爆爆心地特定に至った。1992年、2径間連続鈑桁橋に架替え。現在は市道中1区218号線の道路橋として活用されている。観光的には原爆ドームから平和記念公園へのルートとして利用される。
原爆ドームと元安川が見渡せる元安橋。原爆にも耐えたのだとか。いまは綺麗になりましたが当時を思い出すと切なくなります。橋の南側ではヨーロッパのような朝市が開かれてました。
この橋の西詰に平和公園レストハウスが建っています東詰を北に川沿いに進むと徒歩3分ほどで原爆ドームです東詰の南側すぐにパリのセーヌ川にあるようなおしゃれなカフェがありますその下の川辺には宮島行きの遊覧船と市内観光の小さな遊覧船の乗り場があります東詰めを東に50メートルいくとお好み焼き屋の大人気店長田屋がありますそこから100メートル北に爆心地の小さな表示板があります被爆時、この橋の付近は水を求めて全身に大やけどを負った人々が川に入って大勢亡くなられたそうです。
原爆で欄干は落ちてしまったそうだが、橋そのものは崩壊しなかった。原爆に耐え、原爆ドームと平和記念公園を繋ぐ架け橋…そう考えると本当に意義深い。そう、原爆に負けなかったんだ! 広島市民の皆様・広島の町と同じ、負けなかった。強さ立派です。
原爆投下の日に平和を祈り、願いながら水難事故でなくなった人々へ供養のために灯篭流しが行われます🥺灯篭流しのSTART地点なのでイベントが色々開催されます。
春には元安川沿いの桜がとても綺麗です。橋を渡りきったところが平和公園なのでお散歩や休息にもとても良い場所です。
原爆ドームそばの華やかな橋です!
| 名前 |
元安橋 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
『ponte』(平成の新しい橋)1592年 広島城築城〜モトヤスは城主の叔父城下町に架かった頃は海沿いの木橋。1920年 鋼橋(永久橋化)1989年 架替え着工、大正モダン 〜復刻1992年(平成4)再開通 〜 現在に至る。