薩摩藩士の情熱と歴史。
大巻薩摩工事役館跡の特徴
薩摩藩士に感謝の思いを込めた地域の歴史的な場所です。
平田靱負が自刃した重要な史跡で、治水工事の記憶が残ります。
沢山の犠牲者を悼む慰霊碑があり、地域の歴史を感じられます。
平田翁の辞世の句がありましたが門の中にあったため入っていいのかわからずまともに見学できませんでしあ。
宝暦治水と呼ばれる木曽三川の治水工事で、薩摩藩の義士が元小屋と称し作業本部とした場所。地元の豪農 鬼頭兵内から提供された土地建物を修繕、治水工事において本部となる役館としました。この役館には、総奉行平田靱負正輔と副奉行伊集院十蔵久東他20数名が常駐。工事終了後に、平田靱負が工事の遅滞を詫び切腹を果たした場所でもあります。その後、鬼頭家が没落し当時の面影はなくなりましたが、かつての勝手場あたりと推測されているところに、平田靱負翁終焉地として記念碑に銅像・辞世の句碑などが建立されています。
江戸時代の初期、徳川幕府は大坂城の再建を全国の大名に命じました。この事業は「元和・寛永の大坂城修築」と呼ばれ、特に1615年の大坂夏の陣で焼失した城の再構築が目的でした。薩摩藩は西国の有力大名として、この大工事に動員され、石垣や堀の整備など重要な役割を担いました。大巻薩摩工事役館跡は、その際に薩摩藩の工事責任者が駐在し、作業を管理した拠点と考えられています。当時、薩摩藩は遠方から資材や労働力を運び込む必要があり、役館は現地での指揮系統を維持するための重要な施設でした。この遺跡は、幕府による全国的な動員体制や、地方大名の負担を物語る歴史的証拠として価値があります。
この地の開拓からおよそ100年後の1753〜55年ごろ多大な犠牲を払って河川氾濫に苦しむこの地助けて下さった薩摩の方々に感謝してお祭りをかけます。薩摩義士。2024.10.14令和5年度薩摩義士春季慰霊祭が執り行われました。2023.4.10
薩摩の義士、平田家老への感謝を受け継いでいるこの地方の気持ちが伝わります。桜島のプレートには胸が熱くなります。キレイにお掃除もされ、駐車場も完備です。また訪れたいです。
265年前木曽三川治水工事の、為の事務所(役館跡)です、平田靱負、自刃した場所です。
地域の方々が、いかに薩摩藩士に感謝されておられるかがよくわかりました。
歴史的、価値が有るから。
遠く鹿児島からこの地へは、島津藩の財政の弱体化をするのが幕府の狙い。これを拒否等すれば謀反で島津藩は潰されるので、否応なしに承諾しなければならない。幕府自身も財政難に来ている時に謀反は求心力の低下にもなる、その前に疑わしい所は候補に上がる。親徳川派も倒幕派に変わって行った。でもこの工事🚧のお陰様で河川周辺にとっては宝物同然ではないでしょうか。このお礼が今でも薩摩義士のお墓や役館跡と共に丁重に保護されているのでしょう。
| 名前 |
大巻薩摩工事役館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-272-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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