天智天皇ゆかりの水辺散策。
泌泉の特徴
天智天皇が命じた漏刻や須弥山跡がある歴史的スポットです。
落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと過ごせる公園です。
大伴金村が作った灌漑施設が伝わる貴重な場所です。
水が湧いている感じはする。
金山アジサイ園で紫陽花を観賞した後伺いました。
福岡県田川郡糸田町にある「泌泉(たぎり)」は、清らかな水がこんこんと湧き出る小さな池で、石の鳥居と石垣に囲まれています。 この泉は、糸田町の地名の由来となる伝説があり、天智天皇7年(668年)に造営されたと伝えられています。 かつては灌漑用水として利用され、現在では周辺が公園として整備され、町民の憩いの場となっています。 アクセスは、西鉄バス「原」バス停から徒歩約5分、平成筑豊鉄道「糸田駅」から徒歩約15分です。 駐車場はありませんので、公共交通機関の利用がおすすめです。訪れる際には、泉の歴史や伝説に思いを馳せながら、静かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
泌川(たぎりがわ)の上流にある湧水池。町指定史跡。天智天皇7年(668年)、大伴金村がこの地を訪れた際、権現様のお告げを受け探し出したとの伝説があります。関山一帯の雨水が、石灰岩質の水脈を通じて、こちらから湧き出ています。泉の周りは石の柵で囲われ、鳥居が設けられ金村公を祀る祠が建てられています。昔は炭鉱開発で水が出なくなった時期があったようですが、今はコンコンと湧き出ています。この水源のおかげで、古くから水田地帯となっており「いとよき田」と評され、これが糸田の地名の由来と言われてます。
藻だらけなんでせっかくのキレイな水が見せ場ナシ石柱から察するに石垣が明治、コンクリートが大正と思ってたがどうやらそうらしいね。元の姿どんなんやろ?
昔この湧き水の中で水遊びをしている子供が沢山いました、古い思い出です。
泌泉は【いとよき田】糸田の地名起源といわれるそう。水源地は関の山一帯とは納得。ただ、藻が発生してあまりよくない。駐車場なし。
天智天皇が右大臣中臣金連に命じて造らせた「漏刻」「須弥山」跡。平安時代に大地震で崩れた。当時の石板の記録が拓本で残されている。教科書には出ない。
落ち着いた雰囲気でゆっくりしたくなる公園。水の音を聞きゆっくりと佇む事が出来ます。忙しい時に息抜きしにきたい場所。
| 名前 |
泌泉 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0947-26-0038 |
| 営業時間 |
[火水木金] 8:30~17:15 |
| HP | |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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田んぼの真中に、泉が湧き出ている場所がありました。その意外性や背景とともに、なかなか興味深い場所でした。「泌泉」と書いて、「たぎり」と読むようです。いと良き田、「糸田」の地名の起こりとされている泉です。他の方の画像にあるような、噴水は出ていませんでした。湧出(水流)が弱いせいか、はたまた水温が低くないのか分かりませんが、(きっと日当たりが良すぎるのでしょう)藻場のような様相を呈しています。その夥しい藻がない箇所の、水面から確かに水が湧いているようでした。グツグツと「たぎる」ほどの勢いはありません。「泌」の字義は、「隙間から水がにじみ出る」で、そっちのイメージの方がしっくりくる感じがしました。