牛島満の自決の地、平和祈念。
第32軍司令部終焉の地の特徴
第32軍司令部壕入口には案内板がなく、静かな雰囲気を楽しめる。
沖縄戦での歴史的な出来事を思い巡らせる場所として訪れる価値がある。
牛島満大将らの自決の地として深い歴史を感じられる史跡。
ここが、牛島満氏の最期の場所だったんだな…。ここが沖縄戦においてある意味最終の拠点だったんだな…。正直、なんて言ったらいいんだろう、そんな気持ちになりました。けど、他の所も同じですがここも日本人なら必ず訪れた方がいいのかなと思います。そこから下ると健児之塔もあります。
「秋をも待たで 枯れゆく島の田草は 帰る御国の春を念じつつ」〜私は、田草のように枯れていくが、御国の春(平和な世)が再び訪れることを願っています〜【1945年6月23日午前4時30分】第32軍司令官 牛島満中将の自刃をもって、実質的に沖縄戦(組織的戦闘)が終焉した地。「本土決戦を引き延ばす時間稼ぎの捨石となるようにとの大本営の要請」に対し、沖縄防衛の要の9師団を抜かれ「徹底持久作戦」を決行せざるをえなかった第32軍、「勝つことを目的としない(いかに時間をかけて負けるか)作戦」を、最後までやり遂げ、自決でその幕を閉じたその心中を察すると余りがある、、、。将兵の血を血で洗うような、そして民間人が避難できていない地で戦うような戦闘は決してしたくなかったはず、、、。地道な持久戦で長期間にわたり米軍に出血を強いることにより、米国世論を厭戦へ動かし、日本の立場を有利にし敗戦することを最後の希望として持っていたのかもしれない。沖縄戦や第32軍の戦闘に対して、色々な考えがあることは承知してますが、現在の日本の安寧の礎となっていることは間違いのない事実です。今、幸せに暮らせているのであれば、静かに手を合わせるのは日本人として当然のことだと思っています。薄暗く案内板も少ないこのガマに少しでも日の光があたるような世の中になることを願います、、、。『花の色は 昔ながらに 見し人の 心のみこそ うつろひにけれ』〜桜の美しさは昔からずっと変わらない。変わるのは、それを見る人の心〜
80年前沖縄は戦場だった「第32軍は、強烈な皇民化教育と流言によって洗脳され、天皇あるいは国のために命を捨てる価値観を植え付けられた沖縄県民を利用し、勝てる見込みも勝つつもりもなかった戦いを行い、沖縄を捨石として、沖縄県民とその他の日本兵を道連れに、3か月間日本本土を防衛するための時間稼ぎを行うことができた。」とも考えることができる。沖縄戦をどのように表現するかは立場によってかなり異なると思う。国のために命を捧げた方々の犠牲の上に今の私たちがあることは決して忘れてはならない。一人ひとりの犠牲はとても尊いことに変わりはない。しかし、総体としての第32軍、とくにそれを指揮した司令部の責任はどうだろう。沖縄戦で日本軍の最高指揮官だった牛島満中将、参謀長の長勇少将、そして高級参謀の八原博通大佐が第32軍司令部の中枢になっていた。沖縄戦で生き残った八原高級参謀の著書を読むと、牛島満司令官は温厚で、部下の意見をよく聞く指揮官だったようだ。作戦立案は参謀に任せて最終判断だけをするようなリーダーだったと思われる。八原高級参謀が立案した「持久作戦」を承認し、首里の司令部壕で持久戦を指揮したが、長参謀長らの勇らの意見にも影響を受け、敵に大きな損害を与えるべく5月4日に総攻撃を仕掛けたが、失敗した。長勇参謀長は、やはり八原高級参謀の著書によると、豪胆な性格のように思われる。八原高級参謀の持久作戦に対しては懐疑的で、積極的な攻撃を主張することが多かったようだ。首里から南部への撤退や、それに伴う住民への影響を顧みない強硬な立場をとったと思われる。八原博通高級参謀は、緻密な作戦立案能力に優れ、米国留学経験のある参謀だったと思う。大本営が主張する短期決戦や玉砕主義ではなく、沖縄を「本土決戦のための捨て石」として位置づけ、徹底した持久戦で敵の戦力を消耗させるという「戦略持久作戦」を立案した。この作戦は、最初から勝利することが目的ではなく、できるだけゆっくり負けるというものだった。八原高級参謀はプライドが高い自信家だったと感じる。牛島司令官と長参謀長は、米軍が摩文仁にせまるなか、この壕で自死したが、八原高級参謀は生き残った。八原が立案したこの作戦で、第32軍は住民を守ることなく、沖縄県民を根こそぎ動員し、老人、女性、小さな子どもを戦場に残したまま、敵も驚くほどの犠牲者を出した。沖縄県民の犠牲者に対しての彼らの責任は重大だと思う。そのためか、この壕は案内板もない。
沖縄戦について調べるようになった頃から見に行かないとと思っており、平和祈念公園に親戚の名が刻まれている事を義母から聞き今回この場所を訪れました。壕の内部は公開されていませんがここが沖縄戦最後の司令部だと考えると日本人として考えされられる事があります。壕の向かい側は広く青い海本当に最後の場所なんだなと感じられました。
1945年6月23日にこの場所で牛島司令官が自決し日本軍の組織的な戦闘が終結。海沿いの高台で眺めのいい場所ですが、いろいろ考えさせられ気持ちが重くなる場所でもあります。
持久戦の厳命を果たし、最南端の絶壁に果てるまで、戦い抜いた。沖縄戦終焉の地である史跡。同時に日本軍の沖縄戦も終わりを迎えた。温厚で人望も高かったと伝わる牛島中将。軍人としての本懐を遂げた一方、多くの県民を巻き込み、人命を軽視した事実は変わらない。静寂の中に響く波音と風雨といえど、悲劇を洗い流し、風化させることはない。
大日本帝国陸軍第32軍の牛島司令官と長参謀長が自決された地、そして第32軍という組織が終りを迎えた地です。沖縄を訪れた際、どうしても行きたかった場所。平和祈念公園前の献花販売所のおばぁにそのことを話すと、今どき珍しい人だねと言われました。それだけ今では風化されているのか、知らない人もいるのかと悲しくなりました。立て看板や案内板などはなくひっそりと佇むお二方の慰霊の地。献花台も荒れていたので、綺麗にしました。献花し手を合わせていると、いつの間にか涙していました。牛島司令官と長参謀長が最期に見た景色は、どんな景色だったのでしょうか。どんな想いで、亡くなられたのでしょうか。日本人なら、忘れてはいけないものもあると思います。This is the place where Commander Ushijima and Chief of Staff of the 32nd Army of the Imperial Japanese Army committed suicide, and where the 32nd Army ended.A place I really wanted to visit when I visited Okinawa.When I told the lady who sells flowers in front of the Peace Memorial Park about it, she told me that she was an unusual person.It made me sad that it was so weathered now and that there are people who don't know about it.The memorial site for the two of them stands quietly without any signboards or information boards.The flower stand was also rough, so I made it beautiful.When I was offering flowers and putting my hands together, I was crying before I knew it.What kind of scenery did Commander Ushijima and Chief of Staff see at the end?What kind of thoughts did you have when you died?If you are Japanese,I think there are some things that should not be forgotten.
陸軍令部司令部壕第32軍司令官牛島満大将、参謀長長勇中将自決の地司令部壕入口には案内版などは出てません。豊見城市にある海軍壕公園/旧海軍司令部壕は展示施設を始め、壕内の見学も出来ますが、海軍と陸軍の戦後の扱いというか、印象的なものを感じざるを得ません。
沖縄戦の組織的抵抗が終結した地として思いを巡らすところです。
| 名前 |
第32軍司令部終焉の地 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://ss-yawa.sakura.ne.jp/menew/zenkoku/shiseki/okinawa/mabuni.sk/mabuni.sk.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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2025.12/訪問黎明の塔のすぐ下にある岩の割れ目です。柵があり、中には入れません。近くの駐車場から階段と遊歩道を歩いていきます。静かな海を見ながら平和が続くことを祈りました。