河内飛鳥古寺霊場、河内六観音の札所。
古市駅から徒歩圏内にある竹内街道沿いの歴史ある寺院です。
東高野街道からもすぐです。
駐車場は無く、周辺も細街路です。
駅からは歩いても5分程度です。
御朱印素敵です。
ベイマックス石と読んでる息子。
落ち着きます。
この場所は 高野山霊場の 由緒ある寺です、 豊臣 VS 徳川の 夏の陣にも 出て くる 古い寺ですところで 以前にトレース 拒否したが Google では トレースするんですね、 何回も言っているが Google の 電話 着信番号 メールして くれないのか、 Google の都合のよい 情報だけ 収集するのか。
2019/1/18参拝聖徳太子霊跡霊場、河内飛鳥古寺霊場、河内六観音の札所。
近鉄南大阪線古市駅より徒歩五分。
かつては大きな寺出会ったのでしょうが、戦国時代、明治期の廃仏毀釈の影響でかなり打撃を受けたようです。
今回、河内六観音として参拝いたしましたが、本堂は閉まっており本尊薬師如来、札所本尊馬頭観音の姿は拝見できませんでした。
ただ、お寺さん側の運営上公開していないだけで、秘仏と言うわけではないらしいです。
しかしながら、盆時期の檀家さん向けの接待の際に本堂が開かれるので、そのタイミングのみ拝見可能だそうです。
住宅街のど真ん中にあります。
渡来系氏族の西文氏が7世紀に建立したと伝えられる。
西文氏は王仁氏の子孫とされ、王仁氏は日本書紀に記されている伝承上の人物。
この西淋寺には、万が一の時の復興資金として「黄金の平瓦」二枚が蓄えられていました。
ところが天正三年(1575)四月、織田信長の河内攻めの際多くの寺宝と共に黄金の平瓦二枚も井戸に投げ込んで隠し、織田軍の略奪から免れたと言われています。
当時の西淋寺には五つの井戸があり、そのうち三つの井戸は発掘されているのですが、残念ながら黄金は発見されませんでした。
のこる二つの井戸の場所は不明で、古の西淋寺の寺域の大部分が現在では民家が建ち並び古市の町の一部となっているところから、この町のどこかに黄金は眠っていると思われます。
羽曳野市古市はまさに埋蔵金の眠る町なのです。
この羽曳野市のキャッチフレーズは「雅の街」だそうです。
雅かどうかは疑問ですが「歴史のロマン溢れる街」である事はたしかです。
名前 |
西琳寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-956-0603 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
飛鳥時代に渡来系氏族の西文氏(かわちのふみうじ)によって創建されたと推定されている。
創建の年は断定できないが7世紀前半の推古天皇の時代(今から1600年前)とする説が有力のようだ。
出土品以外では飛鳥時代の遺物は塔の礎石のみだが、この礎石は飛鳥時代最大のものとされ、ちょっとカエルの顔のようにも見えて可愛らしい。