景勝と敵対する新発田重家に呼応するため島見浜に辿り...
東港山 眞生院 西嚴寺 / / / .
お墓参りで、毎年訪れます駐車場も数台停めらます。
先祖の墓参りに訪問。
上杉謙信急死後、共に謙信の養子であった、上杉景勝と上杉景虎との間に勃発した家督争い「御館の乱」で敗れた景虎方武将の手島四郎景行は、居城の茶臼山城(上越市)落城後、景勝と敵対する新発田重家に呼応するため島見浜に辿り着き再起を図った。
しかし重家も景勝に滅ぼされ、戦国の世の無常を感じた景行は、出家し釋栄玄と名乗り、天正18(1590)年に本願寺11代顯如上人より「西嚴寺」の寺号を賜り開基した浄土真宗の寺院。
浜御前と呼ばれた古刹で、東西本願寺分裂後は真宗大谷派に属した。
旧本堂は大正4(1915)年の島見大火で焼失した。
現本堂は大正12(1923)年に再建。
名前 |
東港山 眞生院 西嚴寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
025-255-2022 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
私の家族を埋骨している所なので地元の過去を知るところです。