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1493年、土岐頼定が鑓田勝定に命じて築いた海城だそうです。
冬の良く晴れた日に伺いました。
お城というより砦といったおもむき。
とにかく眺めが良く思っていた以上にあちこち歩き回ることができてとても良かったです。
漁港沿いに向かうと坂を登った所に立入禁止の看板が有り先に進めませんが、引き返すと小浜八幡神社の案内の看板が有るので、案内通りに行くと辿り着けます。
小浜城址に伝わる戦記聳え立つ巨岩に遺構を廻らす城址からは、眼下に大原港を一望することができる。
、11月3日文化の日で、何やらイベントが行われているのか、釣り客や新鮮な海産物を求める観光客で賑わっている様子が伺えた。
城跡へは、周囲には専用の駐車場が無いため、海産物を買うついでか、釣りのついでに、漁港の道路に自動車を駐車して訪れる方が良いであろう。
地形を利用した城郭構造は、複雑な郭の配置を可能にしている様に思われる。
頂に八幡神社がある。
岩山中ほどの広場からは、太平洋が煌く。
片隅には歌人若山牧水の歌碑と城址案内板が建っている。
天然の要害であるこの城は、東半分が断崖の海岸である為、難攻不落を誇っていたのか。
しかし戦国時代、地の利だけで勝利する事は儘ならない。
天正16年(1588年)頃、城主は万喜土岐氏の家臣であった鑓田美濃守勝定であった。
同年二月、里見軍が三浦半島方面に遠征した為、これを阻むために出陣した美濃守だったが、その留守を狙って、勝浦城正木左近大夫正康が150騎で攻め寄せてきた(勝浦正木氏は、この頃里見氏から離反し、北条氏に靡く。
)。
多勢に無勢の小浜城守備兵は(という事は殆ど兵が居なかったのか)、城代鹿草権之助以下殆どが討死した。
小浜城は正木氏の手に落ち、付近住民も皆正木氏に靡いた。
落城の報を聞いた鑓田美濃守は怒り、城を奪還すべく万喜城からの軍勢を頼みとして城を攻めたが、容易に事は運ばない。
一計を案じた美濃守は、小浜城付近の農民達が磯遊びをしている所へ、大工二、三人を忍び込ませ、農民と共に磯遊びに興じるフリをさせ、怪しまれない様に城東の断崖の下まで忍び寄り、こっそりと断崖の高さを計測して帰らせた。
計測した高度を基に、大工に梯子を作らせ、作戦準備は整った。
三月五日の深夜、美濃守の放った乱波が六、七人、断崖下から梯子を立て掛けて城内に忍び込み、放火させた。
城外に密かに待機していた美濃守の軍勢が、火の手が上がるのと同時に、鬨の声をあげて攻め寄せた為、正木勢は大混乱に陥り、劣勢となった左近大夫は近習数十人を連れて城南の浜に繋いであった小舟に乗って、勝浦へ逃げ帰った。
鑓田美濃守勝定は、見事城の奪還に成功したのだった。
名前 |
小浜城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0470-62-1243 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
下から見ると結構きつそうな階段ですが、踊り場がちょくちょくあり登りやすいです。
途中の広場、神社の周りを一周する所は景色がきれいです。
青年会館もよい感時の色合!トイレもきれいでした。