親鸞の像(親鸞夢想之像と親鸞草鞋)を二体安置してい...
親鸞聖人は29歳のときに比叡山を下り、六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけを得たことにちなみ、親鸞の像(親鸞夢想之像と親鸞草鞋)を二体安置しています。
親鸞聖人が若き修行僧の頃、六角堂で100日間参篭(百日参り)をした際、夢中のお告げがあり、後に法然上人に会いに行き弟子となったエピソードを記念して作られた御堂。
中には、親鸞聖人が夢のお告げを聞いておられる「見真大師(親鸞聖人)夢想の像」と親鸞聖人が自刻されたといわれる「草鞋(わらじ)の御影像」が安置されています。
どちらも非常に珍しい像で、参拝できてよかったです。
南無阿弥陀仏。
山門をくぐり、本堂の右側に向かって行くとすぐの所にあります。
このお堂も六角形になっております。
修業者だけでなく、誰でもが救われる道はないものかと苦しみ悩まれた「範宴(得度時の親鸞聖人の名)」さんは遂に比叡の山を下り、京都の六角堂に籠もられました。
六角堂は慈悲の象徴である観音さまをまつってあるお寺で、その化身である聖徳太子が建てたといわれています。
ここで100日間、日夜命をかけて、ただひたすらに誰でもが救われる道を求め続けたのでした。
ところが100日間の参籠(さんろう)の終わり頃の95日目に、疲れ果ててうとうとと意識のもうろうとしていたときに、枕元に不思議なことに観音さまが聖徳太子となって現れたのです。
聖徳太子は「あなたの悩むことはよくわかるぞ、その道を解決するには、ここから東の方、数里のところ、東山のふもとの吉水に『法然(ほうねん)』という人がいる。
そこに赴いてその法を聞け」という夢のお告げがあり、さっと姿を消されたのでした。
「範宴」さんはその足でそのまま、五条の大橋を渡り吉水に馳せ参じられました。
これで完全に比叡のお山と決別しました。
それ以後はひたすらに「法然」さまの所に通い続けられたようです。
修業者だけでなく百姓も町人も武士も商人も含めて、あらゆる人のたすかる浄土の教えに、やっと会うことができたのでした。
得度以来約20年間のご苦労もようやく実を結び、「法然」さまから「綽空(しゃっくう)」という名も頂き、更なる浄土の教えの研鑚に努められたのです。
名前 |
親鸞堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/highlight/building.html#shinrando |
評価 |
4.1 |
浄土真宗の開祖・親鸞ゆかりの寺ということで、親鸞を祀った小さなお堂です。