通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪らほつ)がかぶさるよ...
令和二年 京都初秋の旅 10月3日金戒光明寺 五劫思惟阿弥陀仏五劫ごこう思惟しゆいの阿弥陀仏は、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。
五劫とは時の長さで一劫が五つということです。
一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。
そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
平日の朝早くだったので、人も居なくて仏様と2人きりの時間を過ごしました❗️笑。
文殊塔に上がる階段の10段くらいの場所に居られる、アフロ様。
最初にお参りした時には、なかなか辿り着けませんでした。
優しい仏様です。
金戒光明寺は通称黒谷さんと言われ京都でも馴染みのあるお寺です、此の黒谷さんは会津藩が京都守護職の時の本陣です。
また三代将軍の正室のお江の方の供養塔や春日局の供養塔や 源頼朝に仕えた御家人・熊谷直実の鎧掛けの松・供養塔等が有ります♪ 「五劫思惟阿弥陀仏」は日本に16体しか無い貴重な石仏です。
■五劫思惟阿弥陀仏/Goko Shii Amidabutsu.京都市にある石仏。
金戒光明寺にある五劫思惟阿弥陀仏坐像。
江戸時代中頃の制作 (推定)●螺髪、アフロヘアな頭が特徴の阿弥陀仏さま。
ふくよかでお優しい面立ちの阿弥陀仏さま。
とくに黒谷さんの阿弥陀仏さまは何処か愛嬌があり可愛らしく感じている。
此の阿弥陀仏さまは金戒光明寺の境内奥、文殊塔へ続く石段参道の登り口近くにあって文殊塔を背に西向に配されいる。
当ウェブサイトには寺社側で阿弥陀仏さまの照会記事が掲載されてある。
先に記事一読された後に参拝をお奨めする。
文殊塔を前にして参道口立つ、参道左手に阿弥陀仏さま、反対側の参道右手には法然上人の廟堂が見える。
法然上人御廟の正面左右に敦盛と直実の墓石 (五輪塔) が向き合うように配されいる。
アフロヘアーの石仏として有名になりました。
頭の部分が透明になった袋入りの金平糖。
紫やオレンジなどのカラフルなアフロヘアーになってます。
金平糖は御影堂内で販売してます。
左京区黒谷町に有ります。
通称「黒谷(くろだに)さん」。寺関係の車が通れる道有り、途中トイレや休憩できる場所有ります。
ここから東へ向かう登り階段から直ぐの所にアフロヘアーの石仏(五劫思惟阿弥陀仏)いらっしゃいます。この階段を少し登った北側に春日局がお江(秀忠公の正室)の為に建てたとされる供養塔有ります。
この供養塔の南、西に春日局(お福)のものとされる墓有ります。
知る人ぞ知る、又諸説有りますが、三代将軍家光公は、このお福と家康公との間にできた子とされています。家康公にとって徳川家の中に織田家の血が入る事は絶対避けたい事であったと思います。秀忠公とお江の間にできた子はゆくゆく粛清しようと思っていたと予想されます。お福は光秀公の重臣斎藤利三の娘で明智一族の血を引いているとされており、これで事が運ばれた。つまり秀忠公と家光公は異母兄弟。
お江の供養塔はお福の墓よりも大きいが供養塔はお福の墓の鬼門に有りお福の墓を守っている形に成っています。
格式と言う名の差別でしょうか?歴史の一端を見る事ができるかもしれませんネ。
名前 |
五劫思惟阿弥陀仏 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-771-2204 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.kurodani.jp/recommend/gokoh.html?utm_source=Google&utm_medium=map&utm_campaign=000 |
評価 |
4.3 |
場所が大殿側でなく、東側の蓮池及び極楽橋を渡った先の階段を数段上がった左側に、『いやこれスーパーマリオのキノコじゃないからね』みたいな表情をしてる仏様。
ものすごく珍しい。
作り上げた仏師を礼賛する(* .ˬ.))