住宅街の中にある大きなお寺です。
令和3年11月23日訪問。
手入れが行き渡っている建功寺さんを散歩して参りました…。
秋を感じる色とりどりの葉…この綺麗な景色は、壇家の皆様の壇那で維持されています。
壇家の皆様、ありがとう。
景色を堪能させて頂きました。
静かで手入れが行き届いた素晴らしい庭園を散策するだけでも行く価値がある。
新しい本堂は、住職の枡野俊明さんが携わって建てられたもので、これから何百年も受け継がれていく立派な建造物。
一見の価値がある。
鶴見駅西口からバスで20分くらいの所にあります。
本堂は、最近建て替えられて、綺麗です。
周りの景色も絶景で、馬場花木園が近くにあります。
徳雄山瑞雲院建功禅寺(とくゆうざん_ずいうんいん_けんこう_ぜんじ)***永禄3年(1560年)5代目寺尾城主「諏訪三河守右馬之助(すわ_みかわのかみ_うまのすけ)」が建立、伊勢原の龍散寺「大洲長譽和尚」を迎えたのが始まりです。
徳雄山は諏訪三河守右馬之助の勇ましさ「徳勇」が「徳雄」となり、瑞雲院は「宗瑞北条早雲」より2文字を賜り、建功は城主の武勇を讃え、功績をもって建立された寺院。
禅寺は曹洞宗である事を表しています。
寺紋が「諏訪梶」であるのが諏訪氏開基の証しです。
二本根の梶は諏訪大社の神紋「四本足三本梶」に対して敬う意味合いで根(足)を2本にしていると思われます。
平安時代の七夕は竹や笹ではなく、梶の枝葉に飾りを付けていたように神聖な木として敬われていました。
諏訪神社信仰の諸氏は梶の葉紋を家紋としています。
七夕では7枚の梶の葉に歌を書き入れ、織姫星にたむける風習は古来の姿。
歌に読まれる事が多い舟の楫(かじ)が梶に通じています。
本堂へのルートは階段を上がり中門をくぐると平坦な石畳になるもの、工事用に整備され車イスが通行出来るスロープの2通りです。
階段に続く路は本堂の手前右側に白山神社があります。
正面には香炉が置かれています。
本堂は入母屋(いりもや)造り、正面の庇が延びています。
主棟、下り棟の鬼飾りには経巻瓦が、破風の懸魚は三つ花で、屋根には阿吽(あうん)の獅子が載っています。
正面のヌキには龍の彫刻があり、木鼻も阿吽の獅子がいます。
本堂右側には十三重の塔が建てられています。
本堂の扁額には草書体で「徳雄山」と書かれています。
トイレについては総受付のある瑞雲閣(檀信徒会館)を裏側に回り込んだ位置ですが車イスには非対応です。
***香炉は手水舎と同様に身を香によって清浄にします。
魔除けとして屋根には鬼飾りがありますが、ここでは経巻飾りにより災厄を封じています。
正面のヌキに龍が載っています。
水を吐く事が出来、火災封じに通じている。
また天に登り雨をもたらす等の天候を操る法力があるので防災祈願の意味もあります***建功寺は大本山總持寺が能登から横浜市鶴見区に移転する際に尽力されたお寺です。
建功寺所蔵の「驢事馬事(ろじばじ)」という日誌には「明治21年4月15日、本月13日午後、穴水発の電報によれば、只今曹洞宗大本山總持寺諸堂及び宝物悉皆焼失せりと嗚呼、又世の中の常理に漏れざるか、ただ筆を投じて蒼天を望むこと三度」と記録されています。
つまり、全焼により宝物も総て焼失した事が能登から発信されたので天を仰いだ様子がわかります。
驢事馬事は建功寺15代住職「大地宏道和尚(だいち_こうどう_おしょう)」が1890年(明治23年)から41年間書かれた山内日誌です。
能登の大本山總持寺が全焼、1911年(明治44年)に鶴見移転に至るまでの経緯が記録されています。
成願寺の敷地献納には大地宏道和尚、周辺土地の買い取りには地元の名主であった佐久間権蔵、持丸兵輔、中西重造、小堀竹次郎の各氏が貢献されました。
***悉皆(しっかい)はすべての意味、驢事馬事はロバの事をしているのに、馬の事をしなければならない忙しい状況の意味。
大本山總持寺の移転には激しい反対運動があった事から能登には總持寺祖院として再興されています***
バスが通る道路からすぐなので、アクセスは良好。
ただし、お墓は山の上なので結構な上り坂を上がる必要があります。
コンクリで舗装されているとはいえ、高齢者にはキツイと思います。
管理が行き届いており、お寺、お墓はとても奇麗。
親戚いわく、維持費が高いそうです。
早朝ウォーキングの途中に寄ったら門が開いていたので、見学してきました。
後日ウォーキングの途中に寄ったら門が締まっていました(笑)不審者じゃありませーん(笑)夏はお祭りをしています。
ここは大きいお寺だし住職は有名人で本もたくさん出されている。
そして自ら禅僧と言ってるけど、悪いけど、禅ではない。
禅とは思い方考え方ではない、思い方考え方から離れたありのままが禅、取り組み方そのものが間違っているから、教えても坐禅には似ているが中身は坐禅とは違ってくる。
『不思量を思量す、思量分別等の事を用ゆべからず』これが基本だから、ここがおかしいと全部がおかしくなってくる。
だから本道から外れた我流が多い。
今までで一番素敵な初詣となりました境内一面にキャンドルの灯が灯り幻想的な雰囲気で魅了された初詣でした。
家族でもカップルで行っても満足出来るかと思います。
規模は小さく飲食系の露店もわずかですが参列者の人数も多くないので厳かな初詣が出来ました。
また来年も行きたいと思います。
住宅街の中にある大きなお寺です。
境内は緑も多く風情があります。
中門も趣きがあります。
本堂は建て替え中でしたが、年末年始には間に合いそうでしたね。
名前 |
徳雄山 建功寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-571-6712 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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#建功寺建功禅寺は、永禄3年、(1560年)小田原の北条家に仕えていた五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助が開基のお寺です。
諏訪氏の菩提寺を建立することを思いたった諏訪三河守右馬之助は、現在、伊勢原にある龍散寺の大州長譽和尚を迎えて、建功寺を建てられました。
山号の徳雄山とは、諏訪三河守右馬之助の武士としての勇ましさ、『徳勇』が後に徳雄に変わったものです。
五代目寺尾城主が寺院としての伽藍を整える以前は諏訪家の菩提処として、『瑞雲院』と呼ばれており、北条早雲の正式名の『宗瑞北条早雲』から、『瑞』と『雲』の2字を賜り『瑞雲院』として忠誠を誓ったと言われています。
寺号の建功寺とは、開基である、五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助の武勇をたたえ、その功績をもって建立した寺として建功寺とし、正式名を『徳雄山瑞雲院建功禅寺』と呼びます。
諏訪氏が開基である証として、諏訪氏の替紋である『諏訪梶』が寺紋として現在も伝えられております。