未舗装で土の匂いがしました。
小野重行氏の祖は甲斐武田氏の一族であり滅亡後は一族を率いて汐田に移住したが、この地はかなりの風浪でしぱしぱ潮害を被っていました。
徳川綱吉公の頃、鶴見川口に堤防を築いてこれを防ぐ計画をしましたが、難工事となり再三失敗を重ねて容易に成就しませんでした。
この上は日頃信仰する江の島弁財天の御加護を願い御霊を勧請して堤防の起点に奉鎮した後は工事が順調に進み、堅固な堤防が完成しました。
以来、汐田の地は塩害を被る事なく人々は安全に家業に励む事が出来たので地名を弁天下と称し、村人は代々この弁財天を厚く尊崇して次第に繁栄、また漁業を営む住民はこの鎮守の神としてこれを崇め信仰しています。
この神社は当初鶴見川口北東に延びる防波堤の起点にありました。
大正年間、小野重行氏は付近の芒原(すすきはら)数万坪を埋め立て神社の興隆を図り土地の発展に努めました。
大正11年臨港鉄道敷設に際し、隣接の小野町1番地に遷座後、更に町内有志の協力を得て現在地に社殿を建立して、これを奉遷し社名を小野弁財天神社としました。
当社は毎年6月に大祭を執行、当地域の鎮守神社として崇敬されています。
社殿は屋根が瓦葺きの寺院建築ですが、下り棟の鬼飾りに鬼がいません。
江の島弁財天の建築を真似た感じです。
庇(ひさし)の内側正面のヌキには見事な蟇股(かえるまた)が載っています。
木鼻は雲形になっています。
鳥居は鹿島鳥居風の形状ですが相異もあります。
江の島弁財天は明神鳥居なので豊受開発稲荷の鳥居と同じ形状です。
境内の左手には小野重行氏の銅製レリーフがあります。
JR鶴見線「鶴見小野駅」から近い場所に鎮座する小さな神社です。
隣の「弁天橋駅」の駅名の弁天橋とはこの弁天様にあやかって名付けられた橋が付近にあるのでしょうか?
地域密着型の小さな神社です。
地域の信仰を集めています。
この地域は年間を通じてお祭りが多い様です。
未舗装で土の匂いがしました。
名前 |
小野弁財天神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒230-0047 神奈川県横浜市鶴見区下野谷町4丁目154 |
評価 |
3.9 |
20211125御朱印は無いようでした。