抜海の手前に見る、周りと遥かに違う風景が現れます。
抜海という地名はアイヌ語の「パッカイ・ペ=子を背負う・もの」に由来しており、この岩がまさに地名の由来。
見た目が子を背負うような形となっている。
岩の下にある洞窟は先史時代の遺跡となっており、オホーツク文化のものが大半だが、続縄文時代や擦文文化のものもあり、古くから生活の場となっていたことが窺える。
オロロンラインの端に有る遺跡。
シュール!説明版が草に埋もれそう?
昭和38年に発掘、さまざまな出土品があったそうです。
願わくばその研究内容をどこかに展示していただけたらと思います。
現状でも考古学を始め地質学や神社等民族系かな?興味のある方は面白いでしょう。
駐車場はありませんが、左側に小型車1台分道幅が広げられていたのでちょこっと拝借しました。
すぐ南側で工事をしていて、帰り際に関係者の車が来たので、ちょっと際どかったかな?全然別件、数メートル南の歩道沿いに無用階段があるのですが、セメントを練る時に砂利と一緒に貝殻迄入れたのか、ホタテ貝の小さいのかな、表面に出ていて、海無し県では見ないな~と…
稚内市の納沙布岬へ向かう途中で、抜海の手前に見る、周りと遥かに違う風景が現れます。
あまり観光客も注目してくれません。
岩陰遺跡の周辺は、宗谷丘陵に、なんとなく似ている。
かつてこの岩陰で海の音、風の音を聴きながら、遥かいにしえの人々は何を思っていたのでしょう。
名前 |
抜海岩陰遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kyoiku/supotsushogaigakushu/bunkarekishi/bunkakenzo10.html |
評価 |
3.8 |
擦文時代(本州では弥生時代)の遺跡跡。
抜海岩の下に洞穴があります。